松橋事件に見る冤罪の性質と、それに絡む刑罰制度について
松橋事件という事件で、1990年殺人罪で懲役13年の刑が確定していた男性が、18年10月に再審請求をして、2019年3月の今、無罪が確定しました。被疑者は刑期を全うして出所しご生活されていますが、現在85歳。既に認知症で、今回の無罪判決も、よくわかってらっしゃらないご様子とのこと。
弁護人が「無罪ですよ!無罪になりましたよ」と手を握りながら、繰り返し、繰り返し言ったら、言葉が伝わったのか、男性の目が潤んだ、という記事を読んで私は涙が止まりませんでした
きっと、ずっと、無罪を主張し続けてきた男性にとっては、一番、聞きたかった言葉。
正確に伝わっていないかもしれない。
正確に伝えてあげたかった
貴方は無罪ですという言葉
そして、男性のお子さんも長男さんは亡くなり、次男さんが会見にて「長男が生きていれば絶対ここにきていた」と悔しさをにじませていたそうです
きっと、犯罪者の子供、と社会から指を指され言葉では語りつくせないご苦労をされたかと思います
一番悔しいのは、ご本人に無罪がやっと認められたよ、と確実に伝わっていないかもしれないことです
警察に冤罪で捕まってから裁判、判決、服役とずっとずっと悔しい思いでいっぱいの半生だったことを思うと、どうしても、伝えたかった
悔しくて、関係ない私なのに、本当に涙が止まりません
時間は、戻らないのです
冤罪というものは重大なことです
例えば、20代の頃に無期懲役が出れば、出所時には最短でも45歳過ぎてます。女性であれば子供を得る機会をほぼ完全な形で断たれ、男性でも子供を持つことは難しくなってくる年齢になっています。
この場合、時間と自由を奪われるだけでなく、子供を持つかどうかという人生のライフプランさえ奪われることになります
また、その間の時間はかえってきません。一応憲法で『何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる』(憲法40条)と規定しています。そして下位法である刑事補償法の規定する、日給のようなものを対価として得ることができますが、大した値段ではありません
何もしていない人が、警察に疑われ、自白を強要され、裁判で負けて刑に服する。
これほどの人権侵害はありますか?
裁判官と言っても人間です。
人間は必ず間違いというものを犯します。
どれだけ注意深く裁判を審理していても、これからも冤罪がなくなることはありません
人間がどう頑張っても完璧な人間になれないのと同じです
日本では、容疑者に対しての処罰感情が強いため、世界195ヵ国中、140ヵ国が死刑制度を廃止し、国連の死刑廃止国際条約を批准していることからも死刑廃止の流れになっていく中で逆流している国です。
私が大学時代に死刑制度の可否について勉強していた頃は100ヵ国あったかどうかだったはずなので、確実に増えている、と言えます。
刑罰を沢山与えたら犯罪が減るのか。
それはNOです。
死刑を廃止したら犯罪が増えるのか
それも、140ヵ国の実例により、NOです
私が死刑制度に異論を唱えたいのは、冤罪の人がもし死刑判決を受け、実際殺されてしまったらどうするのか、ということです
単純な冤罪だって大変な人権侵害であり、その冤罪を受けた人のご家族にも誹謗中傷が及び、引っ越しを余儀なくされたり、被害者の方へ賠償したり、仕事を辞めなくてはいけなくなったり、中には被疑者の家族、特に親御さんがその責任感に耐えられず自殺するというケースさえあります
それが、もし国が無実の国民を殺し、間違いでした、なんてことは絶対に許されるべきではありません
それでは、絶対王政の中世と何も変わりません。江戸時代の、主観的な適当な奉行所の審判と何も変わりません
そのご当人にとっては。
それくらい、刑が確定するということは重大なことであり、冤罪というのは大変なことなのです
死刑がなければ、その人が生きている間に、例えばDNA鑑定が発達したように、その時点では立証できなかったことが、あとで立証できて無罪を勝ち取り、釈放されることもあるでしょう
それでも時間は戻りませんが、それでも生きています
もし死刑執行後だったら?
誰が責任を取るのでしょう?
死刑執行にサインをした当時の法務大臣?
それとも冤罪がわかった時の法務大臣?総理大臣?
責任ったって、遺族への謝罪や、賠償金程度でしょう
命の責任は取れません
その人を生き返らせることはできません
でも死刑がなければ、たくさんの時間を奪ってはしまっているかもしれないけれど、生きています。「これから」の未来が、人生がまだあるかもしれません
日本の死刑制度は、実際は死刑囚を生かすのにお金がかかるから、という経済的事情もあるように思います。
そして、世論の、強い処罰感情がそれを後押ししている
私だって松本智津夫元死刑囚は死んだ方がいいと思っていました
池田小学校事件の元死刑囚も同様に、八つ裂きにして死んだ方がいいと思っていました
特に強姦罪受刑者は、全員被害者と全く同じ目にあってしまえばいいと思っています。その上で八つ裂きにしてしまえと。
しかし、感情と、死刑制度は別です。
感情で人を殺すことを許容するならば、それは先述した通り、中世と何も変わりがありません。
絶対王政や、理不尽な共産主義と何も変わりません
私は死ぬことで罪を贖うよりも、生きて償う方が辛く、大変だと思います。生きることは、辛いことが多いです。
その上自分が何らかの犯罪を犯していて、被害者がいるのであれば、その人への謝罪感情を芽生えさせ、更生させて、贖罪の日々の方が私はよっぽど辛いと思います
経済的なことについては、今年も100兆円を超える予算を通した馬鹿な国会が悪いので、知りません
そんな馬鹿な予算通したんだから、死刑囚を生かすくらいの、はしたカネは出して下さい
一度道を踏み外したら死刑もしくは社会復帰不可。
それはどこかの共産主義国や、絶対王政と同じなのです
日本はどこか似ていませんか?
大事なのは、その犯罪者をどう更生させて、社会に復帰させ、社会で生きることで社会貢献してもらうかどうか、なのです
その元犯罪者が更生し、普通に生活して仕事してくれるだけでも、税金という形までもって、ちゃんと社会へ貢献してもらえるのです。家賃・光熱費を支払うことで相手方は収入を得る顧客が一人増え、その人がご飯を食べるために買い物をするだけで、そのスーパーやコンビニに利益が出ます
それだけでも十分な社会貢献と言えると思います
しかし、そのための、更生制度があまりにも杜撰。
数度のわいせつ罪や覚せい剤取締法違反で逮捕された、田代まさしさんの講演の動画で「刑務所では何もやることがなくて、自由時間はただぼーっと冗談しか考えていなかった」と言っていました
更生施設としての性質が全く機能していない
犯罪者を刑務所に入れて働かせるだけが刑罰でいいのでしょうか
更生させる、自分がやってしまったことを十分に自覚させる、その重要性をもっともっと認識して欲しいです
軍隊式の刑務所でただ自由を奪い時間を浪費させれば罪を償ったと言えるのでしょうか
ちゃんと自分の犯した罪を認識し、悔い改めさせることの方が、はるかに重要だと私は考えます
申し訳なかったという気持ちが芽生えることが、何よりの贖罪であり、これからの人生をかけて償っていくことになるのではないかと思うのです
こんな長文を読んで下さり、ありがとうございます
冒頭の松橋事件の冤罪の件で、現在認知症の男性が、無罪と聞いて目が潤んだと聞き、感情的になって書き綴ってしまいました。
読んで下さった方に、少しでも「今の刑罰制度、死刑制度について」考えるきっかけになって頂ければ、幸いです
もし心に響いたならば……投げ銭のひとつやふたつやみっつやよっつ!!よろしくお願い致す!(笑)