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ところ変われば咲く花もある

「もう死にたい。」

「今日、死のう。」

病院勤務をしていた時代、かなり追い込まれたことがあった。本当に人生を終わらせてしまおうと真剣に悩んでいた。

当時は職場ではそこそこの経験年数だったため、主任候補としてキャリアアップをしたばかりの時であった。しかし、もともと管理業務に向いていないこともあり、細かいミスが続き、精神的に追い込まれていったのだ。

ミスをする→呼び出しを受けて怒られる→ビビってしまって何もできなくなる→さらにミスをする→さらに怒られる→ビビってしまって何もできなくなる→怒られる→・・・・・・・

このような負のループにとらわれてしまい、抜け出すことができなくなっていたのであった。そしてそのループを抜け出すために選んだところが

「死」

であった。

正直、当時はすごく魅力的に見えていたのであった。本当に追い込まれていたので、きっかけがあったらふらっと逝ってしまう状態だったと思う。

とある日、ようちゃんが呼び出しを受けて怒られてから戻ってきたとき、患者Aさんが、

Aさん「トイレ行きたい」

と話された。

ようちゃん「いいですよ。いってきてください」

とAさんに行ったところ、

Aさん「ズボンの上げ下ろしが不十分やから手伝ってほしい」

と言ってきた。

Aさんは片麻痺だが一通りのことはできる人だ。おかしいな、調子が悪いのかと思いながらも

ようちゃん「いいですよ。いきましょうか」

と一緒に多目的トイレに向かったのであった。

多目的トイレに入り、鍵を閉めた瞬間、Aさんが、

Aさん「どうしたんや、顔がしんどるぞ。つらいことがあるなら聞くぞ。」

と言ってくださったのであった。

そうなのだ。ようちゃんが介助する側かと思っていたが、実は逆に患者さんに心配され、こちらの方が心の介助を行ってもらったのだ。

ようちゃんはたまらず泣いてしまった。いい大人がだ。ただただ泣いた。

Aさんは特に何も言わずにそのままいてくれた。

しばらくするとようやく落ち着いた。追い込まれているときは抱え込まずに感情を爆発させた方がいいと感じた瞬間であった。

また、同時にAさんをはじめ、いろんな方に支えられていることを改めて実感したのであった。そのおかげで、

『このまま、人生を終えることがあってはいけない。まだ自分が恩返しができていない。与えてもらってばかりではだめなのだ!!』

と思うことができたのであった。

それからの行動は結構迅速であった。まずは同じ主任候補であった子にこのままいるとつぶれてしまうことを相談し、退職する旨を報告。その一か月後に退職届を出したのであった。

人間、追い込まれると周りが見えなくなるというのは本当であった。当時の職場での評価がすべてだと思っていたようちゃんは何もできない糞人間だと本気で思っていたのだ。

実際には働く環境で人は大きく変わるのであると思う。幸い今の職場では自分の役割もしっかりとあり、充実した仕事をさせていただいている。それは本当にありがたいことであるとようちゃんは思う。

もし、人生に追い込まれて落ち込んでいる方、このnoteを見て何とかなった事例を見てほしい。人間死ぬ気になれば案外何とでもなるのだ。

そして一人で抱え込まないでほしい。誰かに話すことできっと楽になれると思うのだ。

そして、そんな追い込まれたこともよい思い出だったと話せる時期がいつか来ると思う。

そういうことを思いながらようちゃんはこのnoteを書いている。

あ、パンツはき忘れた。

ケツ論:どおりでスースーすると思った(byようちゃん)

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