いろんな価値観について
皆さんこんにちは~♪9月に突入しちゃいましたね~♪エアコンが自室に導入されるまで残り11日となりました(笑)
さて、今回はとある方のFacebookを見て、面白い考え方だな~と思ったことについてお話していこうかと思います。
ということで、色々考えながら、このnoteをどうぞっ!!
以下の分は自分の友人でもある、静岡県の太鼓演奏家の片岡亮太さんが書いた物である。
コラム「私の視点」
「目指せ極上ワサビ」
「おいしい牛肉はワサビで!」というのが近年の我が家の定番。甘みのある油とピリッとしたワサビの刺激が織りなすハーモニーは無敵。独自の目線から思いを伝えていきたいと思っている僕が目指す表現は、もしかするとワサビに似ているかもしれません。今回は、そんな僕の視点について書かせていただきます。
先日ふと思い立って、YouTubeで「全盲」と検索してみました。表示されたたくさんの動画の中からいくつかを視聴してみると、再生回数の多いものの大半が、
「全盲の人でも、○○はできる」
というメッセージを内包している様子。ずっとこのままでいいのだろうか?強くそう思いました。家事全般、デスクワーク、遊び等、いろいろなシチュエーションに合わせて、
「全盲でもできる」
を伝える動画が求められる背景には、当たり前に生活し、働いている視覚障害者の姿を想像できず、
「目が見えなければ○○はできない」
とたくさんの人が思い込んでいる日本の現状があると思ったからです。
実際、そういった誤解のために、進学や就職、住居探し等において、公平な対応をしてもらえない視覚障害者の話はよく聞きます。そこで、今度は英語で全盲の人を意味する
「blind person」
と検索してみたところ、上位に表示されたものの内容はかなり異なる印象でした。主にアメリカで作成されたと思われる動画の中に、視覚障害の人が日ごろどのように生活しているかという、「紹介動画」は見つからない。
その代わりに、
「blind(全盲)」
と一言で言っても、全く光を感じない状態から目の前にかざされた手の指の本数を認識できるところまで、その視力には幅があることや、白杖(はくじょう)の使い方とその役割など、客観的な知識、情報に基づく動画、
あるいは、先天性か中途失明かで、視覚障害に対する意識はどう変わるのかを比較したり、全盲の人たちが、周囲の状況をどのように認識しているのかに言及するなど、個人のライフストーリーや感覚をアカデミックな角度や社会性を帯びた視点から考察している動画がほとんど。
この違いを目の当たりにして思い出したのは、2018年の2月に渡米した際、アメリカのペンシルベニア州にあるスワスモア大学にお招きいただき、特別授業をさせていただいた時のこと。日本の大学で当時度々話していた障害のある自分の暮らしや活動、人生観について話そうとしていたら、
「もっと全盲の亮太さんの独自の感覚や視点を知りたい」
とリクエストをいただき、僕にとっての言語感覚やコミュニケーションの特徴についてのスピーチへと、大幅な内容変更をしたことがありました。
「できる」を伝えることが歓迎される日本と、まるで視覚障害を科学しているかのようなアメリカをはじめとする諸外国の今。
この差を無視してはいけない、僕はそう考えています。
約30年前、10歳で失明した時、僕自身はもちろん、家族もまた、これからどうしたらよいのかと、まさに暗中模索状態でした。
その不安が払しょくされたのは、失明から約半年後、盲学校に転校し、多くの視覚障害のある友人を持ち、様々な生活術を知ってから。あの頃Youtubeがあれば、そこに映し出される全盲の人たちの暮らしの様子に明るい未来を見出していたでしょう。
そう考えれば、投稿されている動画の一つ一つは、誰かを救い得る力を持っていると思います。けれど一方で、日本の社会は、未だに動画を通じて障害者の日常を啓発しなければならないほど、障害にまつわる情報が乏しいままであるとも言えるのかもしれません。
僕たちが目指す多様性に溢れた共生社会とは、
「全盲でも○○ができる」という情報が
あまりに当たり前過ぎて注目を集めなくなり、なおかつ、障害のある人たち自身もまた、
「自分たちにはこんなことができます」
とわざわざ声高に伝える必要のなくなる社会であってほしいと僕は願っています。動画を充実させている現状は、まだまだ道の途中。遠くに見える理想の社会像を鮮やかに描くだけでなく、僕たちの現在位置を明確にするため、時にはドキッとする視点からも社会を見つめてみる。
僕はそういうきっかけの役割を果たしていきたいと考えています。我が家の必需品、地元産の荒おろしワサビのように、豊かな風味で鼻につんと来る辛ささえも美味しく感じる、そんな発信ができるよう、これからも学びと気づきを重ねます。
という、文章でした。このFacebookを見たとき、凄く衝撃を受けました。
自分も授業などで視覚障害の話をしますが、比較的、みんなと変わらないことができますよ~。的な話し方になることが多かったです。
もちろん、個人によって能力が全然違うため、すべての人が同じではないこと、相手にきちんとどのような介助などが必要か聞くことなどを説明していました。
日本とアメリカ、いろんな考え方の違いがありますが、このような考え方は結構面白いなと思いました。
そう、視覚障害といっても千差万別で、人によって全然見え方、見えなさが違うんですよね。完全に全盲の方もいれば手動(手を目の前で振ったらわかる)かたでも全盲扱いになります。
父は全盲ですが、光はかろうじてわかります。自分の場合は視力はそこそこありましたが、両目の外側の視野が狭くなっていろんなところにぶつかりやすくなっていました。
盲学校の友人は中心の視野が全くなくて少し傾けながら前を見ていたりしました。またほかの子は視力はそこそこあるけど色が全くない色盲だったりします。
これだけ違えば困ることが違ってくるのも当たり前ですよね。その特性を説明して、どのようなことができるのか、できないのか、科学的とまではいかないけど、得意不得意はあげることができそうです。
それを踏まえたうえでこれを手伝ってくださいと言えるとお互い楽なんじゃないかな・・・と考えたりもします。
ということで、静岡県にいる方は是非、
「片岡亮太」
をよろしくお願いいたします(笑)