自己紹介のためのコーヒー屋の資格 (参考資料)
コーヒー鑑定士の代表として竹本彰太氏が紹介された2006年の新聞記事をスクラップします。UCCに勤続されていましたが、2017年くらいに勇退されました。
個人的意見ですが、「人間国宝」に認定させていただきます。
本当に「達人(マスター)」といえる人は、自分のことを「何とかハンター」とはいいません。
となりの達人「五感で守る豆の質・竹本彰太さん」
◇たばこ厳禁、試飲1日200杯
黒いシートの上に並べた白い豆を両手でいとおしむように包む。すくい上げて顔を押し付け、鼻から深く息を吸う。今度は焙煎(ばいせん)し、粉にひいたものに湯を注ぐ。改めて香りをかぐと、黒褐色の液体をわずかにスプーンですくい強く吸い込んだ。「ヒュッ」。笛のような甲高い音。瞬間的に霧状にして鼻腔(びこう)の奥まで届ける。
UCC上島珈琲の原料輸入部担当課長、竹本彰太さん(50)はコーヒー豆の鑑定士だ。世界一のコーヒー生産国、ブラジルの鑑定士資格「クラシフィカドール」を取得したのは22年前(注1)。日本人では3人目だった。以来、コーヒー豆のテストを続ける毎日だ。UCCが輸入するコーヒー豆のすべてを検査する神戸市・六甲アイランド工場の品質検査室で責任者を務める。
青緑色で豆に厚みがないのはジャマイカ産のブルーマウンテン。ハワイ産のハワイコナはロウのようなつやがあり、他の産地より深い緑色……。豆を見るだけで竹本さんは、約60カ国の産地のどこから来たものかが特定できる。収穫時期や収穫後の処理方法もすぐに分かる。収穫後の果実から豆を取り出す方法に水洗式と非水洗式があるが、水洗式では、センターカットという豆中央の溝が白くなるのだ。
外観で分からない部分は鼻と舌で調べる。未成熟な味や発酵臭、土のにおいはないか。産地の特徴は十分出ているか。「味や香りは数値では表せない。機械では出来ない作業なんです」と話す竹本さんの頭の中には、世界中のあらゆるコーヒーの味と香りのデータが蓄積されている。
五感をフルに働かせ、世界中の産地を歩いた経験と照らし合わせると、豆が届くまでに起きたトラブルまで目に浮かぶ。収穫のタイミングの遅れ、収穫に使ったバケツの異臭、高温の場所に長く放置したことによる発酵、保管する倉庫での雨漏り。「農園からカップまで、1カ所でも間違いがあるとおいしいコーヒーになりません。豆が悪いと、その後いくら頑張って抽出してもダメなんです」
感覚を鈍らせないため、たばこは吸わない。辛い物や生のタマネギなどにおいの強い物は控え、仕事前にアメやガムは決して口にしない。
多い日は1日に200杯のコーヒーを試す。だが、鑑定なので口に含むとすぐ吐き出す。では、コーヒーをおいしいと心底感じることは? 「毎朝、自宅でたてるコーヒーが一番ですね。おいしいコーヒーはやっぱりゴクンと飲み干さないと」。屈託のない笑みがこぼれた。【脇田顕辞】毎日新聞 2006年11月28日
◇南米の仲間と味、財産に
UCC上島珈琲の原料輸入部担当課長、竹本彰太さん(50)には、忘れられない味がある。東京農大の3年生だった1978年、留学のため独りブラジルに渡った。その時、初めて訪れたコーヒー農園で飲んだ一杯だ。「苦くて甘い味でした。これまでで一番おいしかった」。
外国で農業をするのが夢だった。留学は、移住の下見のつもりだった。サンパウロ郊外で養鶏場を営む日系人、ナガオさん一家のところにホームステイした。ある日、コーヒー園の開墾を計画中だったナガオさんから、「行ってみるか」と誘われた。500キロ離れた内陸にあるコーヒー園。想像するだけでわくわくした。「行きます」と即答。竹本さんの将来を決定付けた瞬間だった。
農村の一日は、雇われ農家の小さな家々からもれるコーヒーの香りで始まる。竹本さんは、農村に移り住み、農家の人たちと一緒に、朝から晩まで汗を流した。山の木を切り倒し、耕して肥料をまく。かんがい設備を造り、コーヒーの苗を植えた。「一緒に働いた男たちは貧しかったけれど、みんなおおらかで、親切でした。絶えず声をかけてくれて、寂しさなど一度も感じなかった」。ブラジルが大好きになり、必ず帰ってこようと思った。
竹本さんがブラジルに戻り、コーヒー鑑定士の資格をとったのは、それから6年後の84年。さらにその6年後には、UCCの現地法人代表となった。当時のブラジル経済は激しいインフレで大混乱していた。物価上昇率は年間2000%。通貨の名前が何度も変わり、その度にゼロがいくつか消去された。5人の現地職員の生活を守るため懸命だった。
竹本さんにとって、日本で鑑定するコーヒー豆と産地の人々の暮らしは切っても切れない。エチオピア、コロンビア、グアテマラ、ベトナム……。ブラジル以外にも10カ国以上の生産国を訪ねている。栽培に人手がかかるコーヒーの生産国は多くが貧しい。条件の悪い山間部の農園で働く家族をたくさん見てきた。
「コーヒーの消費国では結果だけに目が行きがちですが、産地を知ると、豆にいたるまでが見えてきます。平和で安定していなければ豆は出来ないと実感できるのです」
喫茶店経営者らを相手にした講習会に、よくボランティア講師として出かける。「おいしいコーヒーが増えれば消費も増える。消費が増えれば生産地の仕事も増え、豊かになるから」。28年前、農園づくりでともに汗を流した男たちの顔と、あのコーヒーの味がよみがえる。【脇田顕辞】毎日新聞 2006年11月29日
◇情熱と探究心、絶やさず
ブラジルのコーヒー鑑定士資格「クラシフィカドール」を持つ日本人は、100人を超えた。だが、UCC上島珈琲の竹本彰太さん(50)は、他社の鑑定士からも「世界に通じる舌を持つ数少ない日本人」と評される特別な存在だ。セミナーで竹本さんが試飲すれば、若手鑑定士たちは一斉にその表情に注目する。「明るくさわやかな酸味。花のような香りも特徴です」。先輩のコメントと自分が持った印象を重ねては、竹本さんの感覚に自分の舌を合わせようとする。
「テストで自分が何番か分かる世界でもないですし。少し経験が多いだけですよ」と笑う竹本さんだが、モデルとして仰ぐ先輩がいた。昨年夏、55歳で亡くなった松原敏雄さんだ。竹本さんより先にクラシフィカドールを取得した2人の日本人のうちの1人で、84年にUCCがブラジルに置いた現地法人の初代代表だった。その年に資格を得たばかりの竹本さんは、松原さんの下で研修生として働いた。
「カップばかり見ないで、人や産地、市場など周りから学びなさい」「鑑定士に求められることは、カップ技能だけではないよ」--。よくしかられた。教えを守り、常に産地を思い、市場の動きから目を離さないよう心がけた。
松原さん亡き後、鑑定士のリーダーとなった竹本さんは、若い鑑定士たちを「知識の吸収が速く、みんな優秀」と評価する。だが、情熱や探究心より頭に頼り、「答え」を急ごうとしているようにも映る。「コーヒーは日によって、年によって、作柄によって、絶えず変化する生き物。味に正解はなく、結論もない。だからこそ鑑定が重要なのです」
05年の日本人1人当たりの平均コーヒー消費量は340杯で世界22位。上位の欧州諸国の3分の1~半分程度に過ぎないが、「この20年、市場と消費者の好みは劇的に変化してきた」。喫茶店の数は、80年代から半減したが、逆に家庭での飲用量や缶コーヒーの消費量が増えた。「本格的なコーヒーはお店で飲む」がかつての常識だったが、今は気分に合わせて好きな種類を気軽に選べる。「変化は続き、消費量は伸びるはずです」
変化を敏感に感じ取ろうと、最先端の情報や技術に触れられるイベントにはどん欲に参加し、生産者や同業者、消費者の声を聞く。機会を見つけては、コロンビアやブラジル、グアテマラなど生産国に足を運ぶ。カップの外の世界に、いつも目を見開いていたいから。その大切さを、若い鑑定士たちに伝えたいから。【脇田顕辞】毎日新聞 2006年11月30日
(注1) ブラジルコーヒー院公認クラシフィカドールは、ブラジル連邦共和国政府コーヒー院“IBC”(Instituto Brasileiro do Café)主催の鑑定士養成コースを修了し、国家試験に合格した者に発行される国家資格。1990年 ブラジルコーヒー院(IBC)が解体された後、ブラジルサントス商工会議所による民間組織主催の鑑定士講習会を修了した者に発行される修了証と資格名称になった。
(注の注・この方はQグレーダーというアメリカの協会が発効する資格を最初期に取得したひとりでもある。長期の海外駐在のため、失効していたが再取得したのだが、最初の再取得者でもある。一度失効したら二度と取得する気が起きない試験が課せられている。)
(注の注の注・クラシフィカドールなる資格はブラジルの資格故、世界最大生産国ブラジル偏重優先の巨大なローカルさが特徴らしい。Qグレーダーなる資格はアメリカが主導のためグローバルレアな品質探索に偏重優先で高品質な画一化に偏りやすく、同時にローカルネガティブとグローバルポジティブを区別しない傾向があるらしい。現在のクラシフィカドール資格は午前中2時間週5日で4か5週の研修といわれる。Qグレーダー資格は6日間集中し1日6から8時間の研修と試験の繰り返しらしい。)