笑うバロック展(389) バロック音楽の得意な巨匠たち「脱帽して、ひざまずいて」
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ごくごくまれにではあるけれど、シャルドネを極端に遅摘みにし、貴腐化を待ってから収穫することもある。貴腐といっても甘口ワインをつくるわけではなく、濃厚で力強い辛口に仕上げられる。
かのロマネ・コンティ家がつくっている「モンラッシェ」がその代表で、そんなにも遅摘みにしながら、しっかりとした酸が残っているのは、神秘としか言いようがない。そういう特別な畑なのだと考える他にないだろう。
ちなみに、「モンラッシェ」は、大デュマが「脱帽して、ひざまずいて飲むべし」と語ったブルゴーニュの白ワインの最高峰で、伝統的に「貴腐化したシャルドネ」からの濃密なワインをつくってきた。しかし、今日では、その伝統を伝えているのは、ロマネ・コンティ家のものだけで、他家では、貴腐菌のつかない「健全な」葡萄からワインをつくっている。
ロマネ・コンティ家のモンラッシェは、「蜂蜜、バタースコッチ、ハーブ、トリュフ、コーヒー、葉巻、森の下草・・・」などを連想させる、驚くほどに複雑かつ芳醇な深みある風味で、「偉大」という言葉が、これほどふさわしい白ワインもめったにないと思う。(辻調グループ・コンピトゥム・コラム「セパージュを飲む」より)
モンラッシェのような演奏家とその名盤と、いっておきます。
ル・モンラシェは----1950年代から1970年代、CD以前くらいまでのビンテージ。
カール・ミュンヒンガー指揮、バッハ作曲「フーガの技法」。
カール・リヒター指揮、バッハ「マタイ受難曲」。
ジャン・フランソワ・パイヤール指揮、ラモーのオペラなど。
ネビル・マリナー指揮、ビバルディ、ヘンデル、テレマンなど。
イ・ムジチ「四季」。
その他。
シュバリエ。
ミシェル・コルボ指揮、モンテベルディからバッハに至る宗教曲。コルボはルネサンス物は少ない。
ルドルフ・マウエルスベルガー指揮ドレスデン十字架教会合唱団のシュッツからバッハに至る作品。マウエルスベルガー自身作曲する教会音楽家。
ハインツ・ホリガーのオーボエと指揮。アルビノーニの協奏曲。「ベニスの愛」。偉業はゼレンカの再発見。古典派のルブランの再発見も偉業。
バタール。
クラウディオ・アバド指揮、ペルゴレージ作曲「スタバト・マーテル」の3回にわたる録音。バッハのブランデンブルクなど。あるレビュー「私はアンチ・アバドだ。少しアレルギーがあるようだ。相当相性が悪いようで、世評とは裏腹に買ったアバドのCDにことごとく裏切り続けられ、ついにウィーンPOとのベートーヴェンにとどめを刺され、以降、20年程、1枚もアバドのCDを買っていない。ただ奇跡的に1枚だけ愛聴盤となっているCDがある。それがペルゴレージのスタバト・マーテルの旧盤だ。」
ペーター・シュライヤーの、主に指揮活動。バッハ「マニフィカト」など。歌手としてもバロック音楽への貢献度は高い。変声前から録音があることはスゴイこと。
ネグリのビバルディの宗教曲の復興。
ピュリニー、ピュセル。
ミカラ・ペトリのリコーダー。バロック時代のリコーダー作品をモダン楽器で。マルチな人でジャレットでもエスファハニでも共演。ペトリはべリオのゲスティも、モンティのチャルダッシュもこなし、リュート奏者の夫君とデュオを組みグリーグまで。モーツァルトのフルート四重奏もリコーダーで、やりすぎ。しかしマンロウのように中世の舞曲はとり上げませんし、ブリュッヘンのようにステインズビーでヘンデル全集はつくりません。
イエラン・セルシェルの11弦アルトギターによるリュート作品。
クラウディオ・シモーネ指揮、ビバルディの様々な協奏曲。
シャサーニュ。
アンドラシュ・シフのピアノ。バッハとスカルラッティ。ほかのバロック作品はあまり弾かないみたい。
ウラジミル・ホロビッツのピアノによるスカルラッティ。「ひびの入った骨董の壺」褒め言葉。
実際に1980年代から、古楽器演奏が盛んになるにつれてメジャーなバロック音楽をどう扱うか、様々な史試行錯誤が行われます。
反論反発。妥協、折衷、二刀流。
とりあげてきた巨匠たちが手出しできない分野は何かしら。
バッハの「音楽の捧げもの」中のトリオ・ソナタは巨匠たちのもの。しかし、トリオソナタといってもコレルリのは、果たしてモダン楽器演奏はあるかしら。もう少し調べてみよう。
ビオラ用編曲されたマレはありましたが、例えば戦後すぐのころに作られた簡易型のモダンガンバ(ジャーマン式リコーダーのようなもの)では聴きません。
そういえば、1980年代CD時代からトリオ・ソナタの復興が目立つかもしれません。専門グループも増えましたし。
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