ブラームスのロ長調ピアノトリオ(2016年9月記)

休日にタブレットのイアホン端子とステレオのauxを接続して、楽しみました。
こんなことをほぼ無料で楽しんでしまっていいのかしら。

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ブラームスは、わたしにとってほとんどすべての曲が性に合う貴重な作曲家です。
2016年7月に開催されたヴェルビエ音楽祭の録画。音楽祭サイトで公開されています、ありがたや。

当日のプログラム
B.Bartok: Contrasts for Clarinet, Violin and Piano, Sz. 111
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J.Brahms: Trio for Violin, Cello and Piano No. 1 in B Major, Op. 8
1. Allegro con brio – Tranquillo – In tempo ma sempre sostenuto
2. Scherzo: Allegro molto – Meno allegro – Tempo primo
3. Adagio
4. Finale: Allegro
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R.Schumann:
Quintet for Piano, two Violins, Viola and Cello in E-flat Major, Op. 44

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ピアノ、ユジャ・ワン、バイオリン、レオニダス・カバコス、チェロ、ゴティエ・カプソン。中国、ギリシャ、フランスの演奏家トリオ。
ワンのピアノはわたしは好きです。アンサンブルのときのワンのピアノはとてもよいと。ほかの二人との息もあってひきたて合います。楽章ごとに拍手が起こっていましたが、納得します。
以前からの愛聴盤は、ピレシュ、デュメイ、ワンのポルトガル、ベルギー、中国トリオですが、今回ピレシュが弱点という感じがよくわかりました。
この曲は出だしからすべての楽章がお気に入り。ブラームスの室内楽はチェロがいいと盛り上がる感じ、以前はワンのチェロを聴いていたのかも。それでも第3楽章はあまり気になったことがありませんでした。カプソンのチェロは申し分なく、カバコスとワンもとてもはっきりと何と発音しているかが、わかる印象。ピレシュはもやもやした印象がありました。今回第3楽章の美しさに気付きました。
ロ長調トリオは、各楽章に強奏のサビがあって、それが決まるととても力強いのに美しい。ブラームスが若書きを改定してシンプルに削ぎ落した版。歌が強調され、ワルツを踊るリズムが強調され。何回聴いても飽きません。おそらくどこを聴いてもロ長調トリオのどのあたりかわかる、そんな自信が湧くほど繰り返し聴いています。ところで、このトリオ、BGMには全く不向きです。ながらを許さない、つい目を閉じて聴き入ってしまいます。考えてみればブラームスがBGMに適さない、俺の話を聴け的作曲家なのでしょうけれど、演奏家がいいと、芸術家の主張めいた押しつけがましさがでません。特に室内楽は穏やかにスタートするものが多い。自然と耳が向きます。BGMだと恥ずかしい想像が、ひとりで聴くことが多いので、どんな恥ずかしいロマンチックな想像も気にすることがありません。確かワーグナーはバイロイトのオケピットをできるだけ客席から見えないように掘り、客席を暗くして舞台に集中させたといわれています。ブラームスはそれを音だけで聴く者の眼を瞑らせます。わたしはワーグナーも好きでよく聴きます。しかし、ブラームスはどこか聴き逃がせない感じがします。それも、ライブでないととか、きちっとした再生機器でないととか、そうしたことが些末なことに感じます。
どんな条件でもいいからブラームスが聴きたくなるときがあり、ブラームスが流れてくるとつい目を閉じしばし聴き入ってしまいます。起承転結がはっきりとしているので、これほど不安感のない音楽もありません。それなのに終わるやいなや、また最初から聴いてしまったりします。そうか、ブラームスの音楽はいわゆる言葉で物語る類の筋がないので、繰り返しに耐えます、起承転結といっても、時間とともに変化するワインの味とも違う、酔って眠くなることはありません。最高に美味しいお茶やコーヒーのようなものかもしれません。

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ワンの手を見ていると、フリッツ・フォン・エリックを思い出します。さながら「鋼琴の爪」かしら。着ている生地の量も似ていますな。

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