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わたしを映画館につれてって、くれた人々に感謝

わたしを浅草ロキシー「シンドバット黄金の航海」に連れて行ってくれたいとこに感謝します。初めて見た「封切洋画」。
日本公開は、1974年12月21日。1975年のお正月だったかも。小学校4年生かな。

翌年たしか母が、同じ浅草ロキシー「ジョーズ」を観に連れて行ってくれたはず。母にも感謝します。「ジョーズ」は年齢制限がなかったのですね。


1979年5月5日、日比谷みゆき座「料理長殿ご用心」の初日。同行してくれたのは鈴木君だったと思う、感謝。

1980年ころ、同級生3人組で年齢詐称で浅草東宝オールナイト上映初体験。記憶では「がんばれタブチくん」「おじゃマンガ山田くん」「ルパン三世」「カリオストロの城」「エースをねらえ」というアニメナイトだったと。


1982年10月。有楽町スバル座「1900年」を付き合ってくれた林君に感謝。躊躇なく二つ返事で付き合ってくれました。



大人になり、いろいろなことがあり、疲れ果てた2004年を経て、もう映画や芝居を楽しむゆとりなどないだろう、と思っていたころ。整骨院のたまい先生が、チケットをくれました。2010年日本公開の韓国映画の「渇き」。おかげで、「映画の感想文」を書く習慣が身につきました。とてつもなく感謝。不思議なことにたまい先生は、わたしが元気がなくなると、映画のチケットをくれました。

1995年12月渋谷の新しい映画館(シネアミューズ・イーストとウエスト)の杮落しで「幻の光」を観せてくれたのも、そうでした。先生がいなければ、渋谷なんて行かない場所だったに違いありません。まあ今も滅多に行かないけれど。

内藤剛志初めまして

2010年のお歳暮はハネケの「白いリボン」鑑賞券。


当然ながらわたしが映画に「連れてった人」にも感謝。カワウソうなうちの奥様。なぜって、すべてわたしの趣味の押し付けでしたから。

1985年-1986年公開



ところで、理由は定かではありませんが、演劇はひとり。
四季で「エレファントマン」の初演。薔薇座で「ベント」や「死の罠」の初演を観ました。なぜか演劇は孤独。
1983年に、下北沢のスズナリで、転位・21の山崎哲作「勝手にしやがれ- 克美茂トルコ嬢殺人事件 -」を鑑賞。
浅草の映画館「常磐座、閉館から1年後の1985年秋、一時的に開館して劇団「第七病棟」が行なった『ビニールの城』(作:唐十郎、演出:石橋蓮司、主演:緑魔子)の公演」も鑑賞しました。
しかし、演劇でも、たまい先生には大変お世話になりました。ベニサンTPT詣で。
うーん、そうだ!!いつか必ず先生をご招待しなくては。なんでもいいから、お互い元気なうちに。


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