「前古典派」の時代の出来事とナルディーニ
この時代に生まれた作曲家たちが「前古典派」( プレクラシック )にあたるそうですが、年表にしてみるとバロック音楽の時代の出来事が多い。ピアノを関ヶ原にしているのも興味深いです。グルックのオペラ改革が次の節目の様子。この間にバロックとも古典とも違うギャラントでロココでビルトーゾな音楽が生まれたようです。
(1700頃)クリストーフォリがピアノ・フォルテを発明
(1701)●プロイセン王国成立
(1703)JG・グラウン(1703~1771)
(1705)バッハが「アーベントムジーク」を訪れる
(1710)WF・バッハ(1710~1784)
(1711)ヘンデル《リナルド》初演
(1714)●ジョージ1世即位(1714~1727)
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714~1788)
グルック(1714~1787)
●ニコラウス・エステルハージ(1714~1790)
(1716)●享保の改革(1716~45)
(1725)パリで「コンセール・スピリテュエル」が始まる
ヘンデル《アレッサンドロ》初演(1725)
(1727)J.S.バッハ《マタイ受難曲》初演
(1728)テレマン『忠実な音楽のマイスター』創刊
(1732)ハイドン(1732~1809)
(1733)テレマン《ターフェルムジーク》出版
(1740)●マリア=テレジア即位(1740~1780)
●フリードリヒ2世即位(1740~1786)
バッハ《平均律クラヴィーア曲集》第2巻(1740)
(1742)ヘンデル《メサイア》初演
(1748)●モンテスキュー『法の精神』
(1753) CPE.バッハ 教則本『正しいクラヴィーア奏法への試論 Versuch über die wahre Art das Clavier zu spielen 』(第1部1753年、第2部1762年)
(1755)●マリー=アントワネット(1755~1793)
(1756)●七年戦争(1756~1763)
モーツァルト(1756~1791)
(1758頃)ハイドンが初の交響曲作曲(1758頃)
(1760)●イギリスで産業革命が始まる(1760頃~)
(1762)●ルソー『社会契約論』
グルック《オルフェオとエウリディーチェ》初演(1762)
ナルディーニ、シュトゥットガルトで活躍(1762~1765)
(1765)●ヨーゼフ2世即位(1765~1790)
(1767)グルック《アルチェステ》
「クラシック音楽の小窓-第2楽章」というブログから。
ピエトロ・ナルディーニ(Pietro Nardini, 1722 - 1793)
柴田南雄「西洋音楽の歴史」の中に、古典派の中でも前古典(プレクラシック)に属し、その兆候が最も早く現われたイタリアの作曲家たちの中の一人として紹介されている。
ナルディーニはイタリアのフィビアーナ(Fibiana)で生まれ、リヴォルノ(Livorno)で音楽を学んでいる。ジュゼッペ・タルティーニにヴァイオリンを学び、その最高の弟子になったという。その後の彼の足跡を柴田の前掲書から引用。
1762年から65年までの三年間、シュトゥットガルトでヨメルリや有名なフランス人のバレー手のノヴェールらとともに、ここの音楽、舞踊の名声をたかめたが、その前後にヴィーンやドイツ各地でソロ活動をしている。またタルティーニの死の床を親しく見舞ったのち、その後継者としてフィレンツェのトスカナ大公に仕え、その地で没している。彼のヴァイオリン演奏にかんしてはレオポルト・モーツァルトはじめ多くの人の賛辞がある。息子のモーツァルトも二度にわたりナルディーニと接触した。そんなこともあって、彼が生存時に独墺を楽旅した頃から二世紀たった今日でも、ドイツ系のヴァイオリン学習のコースにナルディーニのソナタやコンチェルトがよく用いられている。こういうことはまったく恐ろしいくらい、師弟相伝の形で跡をひくのである。