資料 服部幸三さんのヴィオラ・ダ・ガンバ解説
アマデオ原盤のトリオから出たLPに付された解説です。
基本をおさえたわかりやすいもの。図を使わず、音と言葉だけでガンバとは何か、その名技性とは何かが語られています。素晴らしいです。
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ビルトォーゾ・ヴィオラ・タ・ガンバ *エヴァ・ハイニッツの協奏曲集
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バロック時代には、ヴィオラ・ダモーレ、ヴィオラ・タ・ガンバ、バリトンなど、ヴィオール〔英語ではヴァイオル〕属の楽器がさかんに活躍したものであった。雅味があり、うるおいがあって、しみじみと語りかける美しい響きである。しかし、古典派からロマン派にかけて、オーケストラの拡大にともなって、一層ダイナミックで鋭い貫徹力を持つ響きが要求されるようになると、この仲間の楽器はいつか忘れ去られ、博物館の中に仕まいこまれるようになった。“銀の鈴を振る”と形容されるチェンバロが辿った運命も、いかにもヒューマンな温かさに溢れるリコーダーが辿った道も同じだった。チェンバロの場合、それにとって代ったのはピアノだったが、ヴイオール属の楽器を駆逐したのはヴァイオリン属の楽器であった。
ヴァイオリン属の楽器に大小のサイズ----ヴァイオリン/ヴィオラ/チェロ----があるように、ヴイオール属の楽器を代表するヴィオラ・ダ・ガンバにも、ディスカント/アルト/テノール=バスの3つのサイズがある。しかし、ヴァイオリン属の楽器では一番サイズが小さく小廻りの利くヴァイオリンが輝しい音色でトップに立つのに対して、ヴィオラ・ダ・ガンバの仲間では、本来の音色が深くうるおいがあることもあって、独奏楽器としてもっとも華やかに活躍するのは、テノール=バスのヴィオラ・ダ・ガンバである。そうしたところにも、この2つの種属の楽器の性格の違いがはっきり見てとれよう。
ヴィオラ・ダ・ガンバとは、元来膝にかまえて奏く弦楽器の意味で、“ダ・ガンバ(膝にかまえる)”という指称は、“ダ・ブラッチョ(腕にかまえる)”と相対する意味をもっていた。しかし、本来は腕にかまえるヴァイオリンの仲間でもサイズの大きいチェロは膝にかまえるので、両者の区別はちょっとややこしい。たしかに遠目で見ると、チェロと普通のサイズのヴィオラ・ダ・ガンバは見分けがつけにくい。けれども、近寄ってみれば、幾つもの違いがあることに気付くだろう。とくに大切な点を次に拾いあげてみよう。
第1にチェロは楽器の胴体の肩の部分が棹から直角に張り出ているが、ヴィオラ・ダ・ガンバは着流しの美人といった感じの優美な撫で肩である。
第2に、表から見たのでは判らない特徴だが、チェロは胴体の表板も裏板もふくらんでいるのに対して、ヴィオラ・ダ・ガンバは表板だけがふくらみ、裏板は扁平になっている。そのせいもあって、ヴィオラ・ダ・ガンバは、はるかに胴の厚みが深い。
第3の特徴は弦の数で、チェロは4本だが、ヴィオラ・ダ・ガンバは6本、ときに7本もの弦を持っている。また調弦も、チェロのように5度間隔の等分法ではなく、ヴィオラ・ダ・ガンバは4度-4度-3度-4度-4度といった具合に不等分に調弦される。
この調弦法がリュートに似ているように、ヴィオラ・ダ・ガンバは、指盤上にフレットがあり、この点もリュートやギターの仲間に近い。
第4に、ヴィオラ・ダ・ガンバのブリッジ(駒)のアーチ型は、チェロよりゆるやかで、そのために多数の弦を同時にひく重音奏法に向いている。弦もチェロに比べると細く、ゆるやかに張られる。
第5の大きな違いは弓の形と持ち方である。チェロの弓はヴァイオリンの弓と同じ張りの強い逆ぞり型で、上からつまむ形で弦に押しあてる。
他方ヴィオラ・タ・ガンバの弓はそりがなく、文字通りの弓型である。また、その持ち方も弓の糸に指をあてて柔らかく握りしめ、引きつけるような形で弦をこする。指の力の調節によって弓の張力を緩急自在に変化させることができるから、その微妙なニュアンスがヴィオラ・ダ・ガンバ奏法の重要なポイントにさえなっている。弓の張力の変化による音色の微妙な変化は、このレコードでもよく耳をすませば判るはずである。
そして最後に、もう一度胴体にもどると、弓さばきを良くするための胴体の両脇の切れこみの形もわずかに違い、その横にある音孔も形が違うことに気付くだろう。チェロの音孔はアルファベットのfの字に似ているが、ヴィオラ・ダ・ガンバの普孔は細長いCの字の形である。
このようにさまぎまの違いがあれば、ヴィオラ・ダ・ガンバの響きがチェロとはかなり違ったものになることは容易に想像できるだろう。一言でいえば、チェロは全体に張りが強く、高次の倍音を強調したするどく浮き出るような響きに特色があるが、ヴィオラ・ダ・ガンバは低次の豊かな倍音が特徴で、そのために響きに奥行きとうるおいが感じられる。音量のゆたかさや広い音域を往き来するダイナミックな奏法ではヴィオラ・ダ・ガンバはチェロにはかなわないが、その代り本来の音域の内部での豊麗な個性的なひびきとゆたかな詩情はチェロの追随を許さない。
チェロにはないヴィオラ・ダ・ガンバの響きの特徴は、ようやく20世紀になって見直され、通奏低音用の楽器として脚光を浴びるとともに、多くのソロのレパートリーが復興されるようになった。古くはスペインのオルティスやフランスのマレから、新しいところではバッハやテレマンのソナタ、さらにタルティーニの作品まで、ヴィオラ・ダ・ガンバのために作曲された作品は数え切れないほどである。それらの作品が、チェロではなくヴィオラ・ダ・ガンバそのもので演奏されてこそ本来の美しさを遺憾なくあらわすことは言うまでもない。
●ジュゼッペ・タルティーニ (1692~l770):ヴィオラ・ダ・ガンバ協奏曲 ニ長調
作曲者のタルティーニは“悪魔のトリル”で有名なイタリアの名ヴァイオリニストであった。若い時代には神学を学ばせたいという父親の期待を裏切ってパドヴァ大学の法学部に入り、しかも法律はそっちのけで音楽とフェンシングに凝った上、自分のフェンシングの教え子だった美貌のエリザべッタ・ベレマツォーネと駈け落ちして物議をかもしたこともあった。しかし、1721年パドヴァのアントーニオ聖堂の第1ヴァイオリン奏者に任じられてからは、ボローニャのマルティーニ神父との往復書簡などからもうかがわれるように、謹厳そのものの生活に終始したようである。晩年のタルティーニは、偉大なヴァイオリンの教師として名声が高かった。彼の名声を慕って諸国から集まる人の数は数知れず、そのために“マエストロ・デッレ・ナツィオーニ(諸国民の師)”とさえ呼ばれた。とくに大きな歴史上の功績は彼が開いたボーイングの技術である。近代の運弓法はタルティーニから始まると言っても過言ではない。彼の門下から出た人は、ナルディーニ、プニャーニ、ナウマンをはじめ、名のある人だけでも約70人を数える。一方、作曲家としてのタルテイーニは、バロックからクラシックへの過渡期に生きて、その二つのスタイルの橋渡しをした重要な人物であった。18世紀の有名な音楽評論家バーニーも彼を許して、“タルティーニは、いつも独創的でありえた数少い天才のひとりである。彼の旋律は焔と想像力にみち、彼の和声はあらゆる巧みさにもかかわらず判りやすく純粋であった。緩やかな楽章は趣味の良さと表現力をあらわし、早い楽章は熟達を物語る”と言っている。
このヴィオラ・ダ・ガンバの協奏曲は、彼が自分の得意とするヴァイオリンだけでなく、別の種属の弦楽器にも隅々まで通じていたことを明らかにする作品である。楽章の配列は、緩急緩急の4楽章からなるバロックの“教会ソナタ”の形式によっているが、ホルンを伴う管弦楽の用法や互いに呼応するフレーズを息の長い旋律にまとめ上げてゆく主題法などが、すでに古典派を指し示している。とりわけ美しいのは、時代に先んじてロマンティックな気分を予兆する第3楽章で、タルティーニ独自の世界と言えよう。
●ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767):ヴィオラ・ダ・ガンバと弦楽合奏のための組曲 ニ長調
音楽史家モーザーが、“バロックからロココの時代にかけてのリヒャルト・シュトラウス” と呼んだテレマンは、文字通り口も八丁手も八丁の多彩な生涯を、北ドイツの港町ハンブルグで閉じた。同じ時代の誰が残した伝記より面白い彼の自叙伝を読むと、次の一節が目にとまる。“小学校では、ごく普通の読み書き、教理問答と少しばかりのラテン語をならった。だが私がいちばん得意だったのは、ヴァイオリンやフルート、ツィターをひいて友達を喜ばせることだった。そのころ世の中に楽譜などというものがあろうとは、露ほども知らなかったが…”。こうして生れながらの楽才にめぐまれたテレマンは、わずか12歳でオペラを作曲し、成人してはイタリア、フランス、ポーランドの音楽のスタイルと当時のありとあらゆる楽器の奏法を身につけた。ヴィオラ・ダ・ガンバも、彼の自家薬籠中の楽器のひとつであった。
この組曲は、テレマンが得意としたフランス風の管弦楽組曲のスタイルの中に、独奏楽器のヴィオラ・ダ・ガンバを取り入れたユニークな作品である。冒頭には緩急緩の3部分からなる大規模なフランス序曲がおかれている。そのあとに舞曲風の6つの楽章が続くが、中間の部分にヴィオラ・ダ・ガンバのソロを生かした楽章もあり、またいきいきとしたヴィオラ・ダ・ガンバのソロがトゥッティに先行する楽章もあって、多様な変化が耳を楽しませてくれる。(服部幸三)