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笑うバロック展(348) バッハはシャコンヌを1曲しか作らなかった、なぜ

ウィキによる起源。

チャコーナ chacona に関する最古の記録は新大陸のものであり、1598年の Mateo Rosas de Oquende のペルーの出来事を記述した詩で、舞曲の一つとしてその名を挙げられている。 当時のチャコーナは歌を伴う快活な舞曲であり、ギターで伴奏された。多くの場合性的な含意を伴う踊り、風刺的な歌詞を持っていたようである。そのために、しばしば公の場でチャコーナを演奏したり踊ったりすることが禁じられたが、爆発的に人気を博して、イベリア半島とイタリア半島であっという間に広まった。このころのチャコーナの完全な例は残されていないが、セルバンテスなど同時代の文学に記述が現れている。 特にナポリではコメディア・デラルテでチャコーナが用いられるようになり、特にアルレッキーノ (伊 arlecchino、アルルカン 仏 arlequin、ハーレクイン 英 harlequin) と強く関連付けて用いられたようだ。

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もしかすると、バッハの「シャコンヌ」は無伴奏バイオリンのあの「シャコンヌ」だけ、かも。バッハにどんな「性的な含意」が伴っていたのか、「風刺的な歌詞」があったのか、うかがい知れない。しかし、ただ1曲にしか「シャコンヌ」のタイトルは用いなかった様子。

最初期のチャコーナの譜例はアルファベト Alfabeto と呼ばれる5弦のギター用の記譜法で残されている。これは各和音を奏するための指の押さえ方を定め、アルファベット一文字に対応させた記譜法である。それによって、チャコーナはI-V-VI-Vの和声進行を繰り返す音楽であったことがわかる。

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「シャコンヌ」は、バッハの旅行中に亡くなった彼の最初の妻、マリア・バルバラへの追悼曲であるという、ヘルガ・テーネの研究によって明らかにされた、隠されたコラールを含むという説を採用し、当時の教会用コラールからの歌詞がヴァイオリンと絡みあって歌われるという内容になっています。

モレーノのリュート、カークビー、メナの2声盤、「追憶のシャコンヌ」。ポッペンのバイオリンとヒリアードの4声盤、「モリムール/シャコンヌ異説」。多分にとってつけたように、聴こえなくもありませんが。とかく、バッハというのは「トッカータとフーガ」といい、隠された何某という名目で、ゴチゴチ何かを掘り起こすような関心を抱く人々が絶えない作曲家です。あえて「興味尽きない」というのはやめておきます。

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実はもともとが外連たっぷりの曲だったのかもしれません。「含意」と「風刺」の曲なのでしょう。そう、ボリビア生まれのバイオリニストにとって、ペルーの記録から始まるチォコーナを追いかけることは、お里が近く「含意」「風刺」という外連においても、まあ。

あの「シャコンヌ」が実は、バッハの最初の妻マリア・バルバラの死に寄せるものだったという説はなんとも魅力的であり、大変な反響がありました。この説を基にしたアルバムもいくつか作られ、大きな話題にもなりました。しかしもちろん反対説も多数あり、例えば、「現代のバッハ」とも呼ばれている大御所レオンハルトは「妻の葬式にダンス音楽であるシャコンヌをかける気にはならない」というような発言も残しているそうです。バッハ演奏・研究の権威であるヘルムート・リリングもこの説には懐疑的でした。(山野楽器・須田 純一 )

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