2014年6月の音楽のジュラシックパーク
知っているようで知らない、名前だけは聞いたことがある----そんな作曲家たち。それぞれに得意な分野があり偉業を成し遂げているものの、時代の変化による技術の評価方法、後世のライバルや歴史観から、排斥されたり忘れられたり、貶められたり。もちろん実演が要求される分野なので、演奏する人や聴く人、その場を提供する人と費用がなければ、維持はされず、消えていくのみというのも自然のことなのかもしれません。レコードなどの記録媒体が発明されて、その費用が激減し、また記録できなかったものが固定できるようになった喜びが、「残す」行為を加速させ、音楽のジュラシックパークが誕生します。ゲノム解析のようにすべてが情報化できそうな勢いが、クラシック音楽の世界を覆っていきました。ジュラシックパークのときに登場した恐竜の名前に驚いたものです。ナントカザウルスといった以前の常識とは違う多くの名前が登場しました。
そうしたジュラシックパーク全盛時代に、大いにそれを満喫した、いうなればマイケル・クライトンのような人がわたしの近くにおりました。ここではベランダ先生といっておきましょう。クライトンは医師としてスタートし、その知識を使ってそれ以前では及ばなかったような領域までエンタティメントにしました。アンドロメダからジュラシックパークを経てERのようなテレビドラマまで。
ベランダ先生は、音楽好きならクライトンのような興味の持ち方や展開の仕方もありうる、そんなことを教えてくれる人でした。ジュラシックパークの映画版で博士たちが再現された恐竜の楽園を目の当たりにしたときの顔、まさにベランダ先生が音楽の話をするときの顔でした。
先生は、バイオリン好きでした。
わたしは、コレルリのトリオソナタなどの良さを教わりました。先生はガッティ推し。最近やっと面白く聴けるようになりました。コレルリは後世に残す自作を取捨選択した作曲家だった、と教えてくれました。
ほかにも----
タルティーニ(ソナタ、協奏曲)
ロカテルリ(「技法」の全曲盤)
ビーバー(「ロザリオのソナタ」、ザルツブルクミサ)
ルクレール(Leclair、ルクレールLeclercはフランスの戦車)
サン=ジョルジュ(黒いモーツァルトの協奏曲)
シュポア(協奏曲、交響曲)
オーギュスタン・ド・ベリオ(協奏曲)、ルチアーノではなく、とことわられて。
フバイ(協奏曲)
ヨアヒム(協奏曲)
もちろんモーツァルトもベートーベンもお好きでした。かれらにも系譜としての前後の伝統文化があり、その流れの中に捉えなおしてみると、登場が唐突でなくなり、だから同時に多くの類似品の中で後世に残る理由が聴こえてきます。多くの同業の中で、趣味がよい、気品がある、洗練されている、鬼気せまる、大志がある、といった理由は、比較するものがあって初めて理解できる場合があるものです。評価の絶対音感のようなものがない場合、いかに相対する比較対象を多く検証するかがカギになるからでしょう。
そうした影響から、わたしも何かきちっと調べて集めて聴いてみよう、そう思い至った結果がグラウンでした。
ベランダ先生には大変感謝しております。
他にも、ブロードサイドバンドの「乞食オペラ」を教えていただきました。イギリスのフォークソングがお好きで、ダウランド、パーセル。アーン。ハイドンのスコットランド歌曲。ハイドンはほかの規模の大きい声楽作品などもお好みでした。
印象に残っている推しは、ラインべルガーのミサ曲の美しさ、グルックのオペラ、マイヤベーアなどのグランドオペラの醍醐味。
そうそう、クープランの「諸国の人々」などの器楽作品。
ベランダ先生推し----
伝ジョスカンのミサ「ダ・パチェム」
マレの「ラ・フォリア」
シャルパンティエの「花咲ける芸術」
ベルリオーズ「キリストの幼時」
ベートーベン「オリーブ山上のキリスト」
レーガーのクラリネット五重奏
ショスタコービチのピアノ五重奏
ボルトニャンスキーの教会音楽
コレットのコミック協奏曲
フィールドのノクターン
ベルワルドの交響曲
ゴセック「共和国の勝利」
ベランダ先生は、本業から派生した因縁で、サンジョルジュのバイオリン協奏曲全集を集めていました。かなり詳しく生立ちが解説されており、それを読みたい、と。なんとディズニープラスで伝記映画が観られる時代に。
ベランダ先生は、本業から派生した因縁でフィリドール一族の音楽の話題も。