音楽の感想 ロマン的な音楽とはなにか考えたのこころダァ
高木早苗氏のリサイタルを聴きました。
プログラムを見て、メシアン、ベートーベン、リストで前半、後半はシューベルトに集中するだろう。
シューベルトの大作、一度も聴ききったことがない難曲、いや睡眠薬でしょうか。
しかもクラシック初心者の知人まで誘ってしまい、なんとも不安が募るばかり。
雷鳴のようなメシアンの一撃から。メシアンの宗教的感性とか東洋的アジア的なところは、現代の日本でピアノを聴く者を「転生」させる衝撃です。
そしてベートーベンの優しい歌。「転生したら」ドイツ語で作曲する器楽の感性が少しわかった、という感触。ベートーベンというのはメロディメーカーですよね。そしてツェルニー君が連れてきた天才児リストの葬送、低音が印象的なのでソナタがダイジェストされたような気分に。
2年前のリサイタルの記憶のひとつは鐘の音なのです。「転生したら」教会の鐘の音や祈りが音楽に変わりました。
休憩後のシューベルト。高木氏自身の短い日本語のエッセイ。生きものは最後まで生きようとするものです。ちょっと「夜と夢」のようで、ぼーっとなって「転生したら」、ウイーンの高級マンションの音楽室で行われる少人数の集まりの中に。
シューベルトは歌をたくさん作曲した人なのですが、長大なソナタは息継ぎの場所がわかりにくく酸欠になり、よって眠くなる。しかし、高木氏の「転生」用エッセイが、聴衆としてのわたしと息継ぎを共有化してくれました。この息継ぎの感覚の共有化が、もしかしたら「シューベルティアーデ」なんじゃないかしら、と。
今風に「転生したら激動のヨーロッパだった」というのを、音から想像させ、息継ぎをそろえさせ、こうした聞き取りができるのがロマンチックということなのでは、と思いました。ただし、ここまで聞いてきて、自分の「ロマンチック」に対する無知に愕然としました。
今回のベーゼンドルファーピアノ。圧のスゴサに驚きました。街でイヤホンをして自転車に走る人を見かけますが、生の優良な楽器の音は、イヤホンの外側の風圧やノイズの側に属するのだと、感じました。
「旅立つ男の胸にはロマンのかけらがほしい」「旅する男の瞳はロマンをいつもうつしたい」これがわたしの精一杯のロマンです。