カフェは「話の花咲く」好奇心の交差点であってほしい
カフェは「話の花咲く」好奇心の交差点です。
お店を開業したオーナーは、自分と自分の味を表現するために、まず開業した町を敬意をもって見てまわり、観光地としての「輝き」を探します。
年初の冬、茅ヶ崎の美術館にて浜田知明展を鑑賞。
川上音二郎旧宅跡地にできた高砂緑地内にある小さな美術館。わるくありません。大きければよいというものでなし。
浜田展、前半期はモノクロの表現の版画の技法を駆使しようとしている節があり、好感。若い頃の戦争体験が、かなり本格的トラウマではと思わせます。ただ長生きしすぎたのか、いや日本のマンガの作家さんたちの発展が著しかったのか。水木しげるセンセ、古川タクセンセ、諸星センセ、最近では諌山某センセ、そうした群の方が、アイデア豊かに見えてきます。そして、後半生の浜田は、アイデアを絞り出すのに逡巡しているように。
ゴヤとかが引き合いに出されるのですが、わたしはドーミエの版画の方が親しく感じました。
近くの茅ヶ崎のカフェに、浜田知明のチラシを差し上げました。興味深い画風です、見逃すところでした、と。そうした対話があると、なんだかホッとします。文化そのものの創造やら発信やらは、誰かに任せておいて好い、しかし、そうした「志」の交差するところであってほしいと思います。もっと単純に「好奇心」の交差点で好いと。
その後、野比のカフェへ。美味マンデリン。濃さも程よく。ほとほとそのオーナーの味覚のセンスに驚きつつ、「筋金」という言葉を想起。話題が武蔵野の角川ミュージアム訪問になり、「薔薇の名前」の修道院みたいだったといったら、ショーン・コネリー主演でしたね、と返し。カフェやコーヒー店を経営する者の「筋金」とはこうしたものです。