笑うバロック展(192) 訛りを誇れ、キャバレーバッハ

ネット上で時々拝見している音楽通の方の日記で知って「ベルリンの」方のミドリさんのバッハを聴きました。これが結果的に「ベルリン、ミュンヘン、ウイーン」みたいな三都パラスト物語に聴こえました。
1002、1004、1006のパルティータ集。もっとも好きなト短調が始まった途端、デートリヒが歌っているような錯覚が。デートリヒのドイツ語は外国人に分かりやすく化粧されたドイツ語に聴こえますが、歌い回しは独特なデクラメーションライクなもの。パフとか風に吹かれてとか、わたしは気に入っています。パフ、デアツォイベルドラヒェン……ですから。
リリー・マルレーンは、デートリヒがマーチをバラードにしてしまいましたが、いま聴くとゆっくりにしたのに、トツトツとして、朗々と流れるような歌ではありません。
ミドリさんの方の有名なシャコンヌは柔軟で、あまりテンポやメロディに縛られ過ぎていない、と。ちょっとハスキーに聴こえるところがまたデートリヒみたいかしら。……シュピール・ヌア・ヴァイター・ドゥ・クライナ・トロンメルマンなんです。

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と、書いてしばらくして、バッハの曲なのにバッハの音楽以外のものを感じさせるのは、それでいいのかしら?なんて。いろいろなこと(場合によっては余計なこと)を想起させる演奏、というのが是か非かみたいなことを思いました。この部屋には手掛かりが多過ぎますぞ、というポワロみたい。ただバッハの書いた楽譜だけが思い浮かぶというような演奏は味気なくないか?当然それをするのだって大変なことなので、それで十分なんですが。このベルリンのミドリさんは、何か演奏者の記憶の迷宮を投影できる人なのかも、と。それと聴いているこちらの内なる図書館がよく反応します。段落ごとの低めの開始音のタメみたいな歌い回しなんて、失礼を承知で言えばヒトラーの演説みたいな、と想起させられるのです。(現代のわたしたちはナチの文化的遺産に囲まれているので、坊主の袈裟のような単純な割り切りをしてはいけないと思います)
そうこうしているうちに、ホ長調の明るい舞曲集になり、掉尾のジーグ。これもどこかで聴いたことがあるような。ウイーン式の弦楽五重奏のワルツみたいじゃないだろうか?繊細さは失わず、少しセンチメンタルに演奏を閉じていました。
鏡の前での演技をマジックミラー越しに見せられているのか?鏡の前で十分訓練した演技で舞台の上で見せられているのか?バイオリンという楽器のために演奏すると聴こえる人、バッハの音楽のために奉仕すると聴こえる人、どちらも可です。ミドリさんは、バイオリンとバッハを使ってお客様に奉仕する人?その意味ではロマンチック回帰かしら。

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