「古楽とは何か」を読み直す(2018年7月記)
わたしは、この本を読みながら、バロック音楽に親しんできました。学ばねば何も聴けないと知りました。途中ルーリーの「内なるオルフェウスの歌」があり、アーノンクールの「われわれはみな音楽を必要としている。音楽なしに生きていくことはできないのである」という結びの文が補完されました。それからブイスーの辞典「バロック音楽を読み解く252のキーワード」。これでやっと、ナルシスト的に他人に左右されずに自由にバロック音楽が聴けるようになりました。その後に岡田暁生氏の中公新書を読んで、ちょっと共時的かなとうれしく思ったものです。そこまで読み進めてやっと、「音楽を理解するため」に音楽を学び、ただ美しいと感じるだけでなく、しかしナルシスト的に自由に聴ける、ようになった気がします。「当たり前の通り道」は「退屈」で忘れられやすいけれど、それが土台として自分の中に常にあると感じられるようになったかな。
「----過去二世紀において加速度的に進展した。----同時代の芸術一般に対する態度の変化が生じた----音楽が人生の最も重要な構成要素である限り、音楽はその時代に生まれたものだけが可能であった。----装飾としての音楽はまず第一に<美しく>あらねばならない。音楽はけっして煩わしくてはならないし、人間を驚かしてもならないのである。----ただ<美しい>だけの音楽などというものは、過去においても存在しなかった。<美しさ>とは、あらゆる音楽のもつひとつの構成要素である。われわれは他の構成要素を無視する場合にかぎって、美を特定の判断の基準として用いることができる。----音楽を全体としてはもはや理解できなくなって----音楽をその美しさにまで引き下ろし、いわばアイロンで平らに引き延ばしてしまう----。音楽が単なる美に、そしてそれとともに皆がわかりやすいものへと身を落とした----音楽において皆が分かるということは、音楽が幼稚なものに身を落とすか、皆が音楽の言語を学ぶ場合しかありえない。----コンセルバトワールの綿密な教育計画は、われわれの音楽史における最初の画一化であった。----聴衆には、同様な原理に従って、音楽を理解するために音楽を学ぶことなど不必要である、と説明されている。ただ美しいと感じることがすでにすべてである、というのである。----音楽家は新しい方法で教育されなければならない。すなわち二百年前の時代を受け継ぐ方法である。----音楽学校では音楽は言語として学ばれることはなく、音楽行為の技術だけが教えられる。これは生命を伴わない技術万能主義の形骸である。----音楽のための一般教育が新たに熟考され、それにふさわしい場が与えられねばならない。そうすれば人びとは過去の偉大な作品を、その心を揺さぶり千変万化する多様性において新たに見るようになる。そして人々は、再び新しいものを理解することも可能となるだろう。----われわれはみな音楽を必要としている。音楽なしに生きていくことはできないのである。」
1982年に出版されたアーノンクールの原著はタイトルを直訳すると「音話としての音楽--新しい音楽理解の道」というものという。
注記すると、コンセルバトワール(仏:Conservatoire)は、フランス共和国における文化遺産を管理、推奨することを目的とした公的機関を指す呼称。音楽、舞踊、演劇、工芸技術などの文化的価値を保持し教育する文化保全機関。ここでは1795年成立のパリのコンセルバトワールが代表。
先般の澤谷夏樹氏のレオンハルトについてのエッセイは、先述のアーノンクールらの活動をもとにした考察から導いたエッセイのように感じます。
「グスタフ・レオンハルトの音楽は退屈だ。----こつこつと長い時間をかけ、多くの実践と楽器から学び、膨大な文献を咀嚼してものした「教科書」なり「事典」なりはその後、多くの後輩音楽家たちに受け継がれ、彼らが個性を競う上での土台となった。----レオンハルトの到達した退屈さは「レオンハルトの勝利」の証なのだ。病を撲滅するという使命を全うすれば医師は失業し、普通の人に戻らなければならない。しかしそれは医師の勝利を意味する。同様に、レオンハルトの切り拓いた道が後続によって踏み固められ、いつのまにか「当たり前の通り道」となった----」
アーノンクールの演奏は、実はあまり聴きませんし、あまり感心したこともありません。