詩の恐ろしさを知りました。
「私も毎日が苦しかった時、ほとんど無意識に奇妙な逃げ道を求めたことがあった」
「一見小さなダメージの中に、すべてを棒に振りそうな危うさの芽が潜んでいるんじゃないか」
「小さなダメージの中に、底抜けの無益さが表現されている」
「生きることの主成分のような無力さを感じて、命のやばさを味わいたくなる」
それが、「一日に三回ドトールに行ったじぶんのことをだめだとおもう」。
1日3回、もしブレンドコーヒー(S)なら、250円3杯で750円かかります。この「逃げ道」「無益」「無力」は高くありませんか。
わたしの記録90日に1回のドトールくらいなら、25条の許容範囲かしら。
1990年、京大出の栗木京子の短歌。
「天敵を 持たぬ妻たち 昼下がりの 茶房に語る 舌かわくまで」
医師の妻として専業主婦をしながら、「逃げ道」「無益」「無力」のようにも読めます。
果たしていくらまでなら「逃げ道」「無益」「無力」に使ってよいものやら。
ところで、「言葉季評」の作者が話題にする、5万円のダイヤは、2016年故安部元首相の「主婦のパート25万円」発言を思い起こします。