笑うバロック展(182) 古楽演奏史上最大のミステリー「リフキン事件」その3
こうした反骨精神というか開拓精神というか、みたいなものを、周囲が持ち上げたり落としたりしながら、どんどん価値がないものにして、安くなったから使おうみたいな話題。世界中で毎日行われていることだと、いわれればこちらの考えがアマイのですが。
原則ピアノは弾かないコープマン氏がやはり「筋金入り」として際立っているのかしら。「----一貫して合唱による上演形態を堅持するトン・コープマンはOVPPを「ナンセンス」と切り捨てる。「新たな文書も発見され、ソプラノだけで5人以上はいたと立証された。いまや彼の主張を正当化する理由はなにもない。人数が少なくていいので、ツアーが安く済む以外には」と皮肉交じりに語っていた」。これが40年間の総括なのかしら。さてこの事件、一体誰がもっとも利益を得たのでしょう。音楽に関心や造詣がないので、素直にそう疑問をもちます。
「リフキンの厄介なアイデア」(バーナード・D.シャーマン)より「----テッド・リビーTed LibbeyによるEarly Music AmericaのB Minor Massレコーディングの最近のレビュー(1999年春)で判断しないでください。リフキンの録音は、「気づくべきだが、夢中にならない」と彼は言う。」「曲がったバッハ弓などの奇抜な理論には、解釈の流行の墓地に消えました。なぜリフキンの「厄介な」アイデアがそれに追随しないか?正当な理由があると思います。」
「----ライプツィヒ市議会に対するバッハの1730年の手紙は、パートごとに3人、できれば4人の歌手を呼びかけるようなものです。それは作曲家の「理想」の簡単な声明であるようであり、それはバッハ学者によって常に読解された解釈です。リフキン、パロット、バットは注意を払って読むと、その「理想」はバッハの4声カンタータではなく、より古い作曲家による単純なモテット(通常は8声のモテットを指す)に対しての指摘とします。さらに、バッハが「理想」視する人数は「野球のスターティングラインナップ」(リフキンお気に入りの野球アナロジー)ではなく、担当する複数の教会で全教会年の歌を滞りなく実施するのに必要なチームメンバーの「名簿」を指すと解釈します。」
「リビーは、ライブパフォーマンスでは3人のトランペットが1パート1人の歌手の声をかき消すという主張、歌手はスタジオマイクの助けを借りている。」「リフキン、パロットはどちらも、レコーディングのバランスがスタジオのトリックを反映していないと主張しています。その主張は、リフキンによる1997年のコンサートのテープ(レーゲンスブルクフェスティバルによって私に提供された)から客観的な支持できます。録音された音は、1940年代を彷彿させます。観客席に座っているアマチュアが単一のマイクと家庭用録音機を使用したためです。それでもバランスは優れています。」
2018年11月雑誌「バッハ演奏の100年」に。
Q: リフキンの1パート1 人編成(OVPP)についてはどうですか?
A: たしかにヴァイマール以前の初期の曲などはそうだったと思う。でも、僕 がリフキンを理解できないのは、なぜ最初に《ロ短調ミサ曲》を録音したのかということ。どう演奏されたのか、いちばんわからない曲なんです。各パート1人だと歌手は本当に大変。結論的に言うとバッハの時代もそうだったと思いますが、曲や状況で判断するのがいちばん良い。リフキンは基本的にデフォルトで1人ずつだったということを証明しようとするけど、ライプツィヒの学者たちは反対している。だからいまや理論的には彼は正しいとは言えない。山のような証拠があって、(すべての曲を)1人で歌ってはいないことはたしかです。基本的には2人ないし3人。コンチェルティストとリピエニストが1人ずつ、あるいはリピエニストが2人ぐらいはいただろうと考えるのが普通で、トーマス学校の生徒の名簿があり、一緒に大学生たちが歌ったということもわかっています。
同じ雑誌に載った「OVPP是非」。
賛否両論が飛び交う大反響を巻き起こす
「バッハの声楽作品は、各パート1名の歌手により歌われた」。アメリカの音楽学者、ジョシュア・リフキンが、 1981年にアメリカ音楽学会で発表した説は、賛否両論が 飛び交う大反響を巻き起こした。この「One Voice Per Part =OVPP」説に基づくバッハ演奏は、いまや真偽の点での旗色は悪いながらも、さらに大きな広がりを見せ、上演形態のひとつとして一定の“市民権”を得ている。「“Chor" という言葉を現代の合唱の概念で置き換えてし まうと、大きな間違いに繋がる」とリフキン。「バッハにとっての“Chor" は、今とは異なる存在。彼の声楽作品は、4人の優秀な歌手を念頭に置いて書かれている。確かに、毎週行なわれる礼拝のためには一定人数を確保する必要はあったが、全員が一斉に歌ったと裏付ける証拠はない」と主張する。
その論拠は、上演に使われた声楽のパート譜が1部ずつしか残されていない事実、バッハを取り巻いていた環境、ハインリヒ・シュッツらバッハ以前から連綿と続く、ドイツの宗教作品の演奏慣習まで、多岐にわたっていた。この新説を後押ししたのが、古楽ムーヴメントの興隆。モダン楽器では声楽とのバランスを取るのが極めて困難だが、ピリオド楽器の音量と音色は、1パート1人としたときの声楽との融和性が高かったからだ。
説としては劣勢も 演奏の新たな可能性を切り拓く
リフキン自身も演奏実践を通じて自説の立証を試み、ピリオド楽器と声楽ソリストによる「バッハ・アンサンブル」を組織し、多くの録音を発表。これは大合唱に慣れた聴衆だけでなく、プレイヤーにも、大きなインパクトを与えた。そして、1990年代に入ると、アンドルー・パロットを皮切りに、ポール・マクリーシュやコンラート・ユングヘーネルらが次々にOVPPによるバッハの声楽作品の録音に取り組み始めた。
もっとも、例えばマクリーシュは「ソロで歌えば、合唱パートが限りなく個性的になる、とシンプルに感じた」と 吐露するなど、演奏家たちにとっては学術的な裏付けは二の次で、なによりも「質の高い歌手だけで、美しく純粋に声楽作品を上演できる」との理由が大きい。この点につい て、リフキン本人に水を向けると、「OVPPの論拠が、ど うでもいいわけがない!!」とご立腹。学者としてのプライ ドを覗かせていた。
しかし、近年は、OVPPを否定する新たな資料も次々に提示されるなど、学界でのOVPP説は、少々“劣勢”にあるようだ。例えば、一貫して合唱による上演形態を堅持するトン・コープマンはOVPPを「ナンセンス」と切り捨てる。「新たな文書も発見され、ソプラノだけで5人以上はいたと立証された。いまや彼の主張を正当化する理由はなにもない。人数が少なくていいので、ツアーが安く済む以外には」と皮肉交じりに語っていた。
そんな状況にもかかわらず、楽壇ではなお、OVPPがいっそうの広がりを見せている。その勢いに刺激されてか、合唱形態での緻密で繊細な秀演も増加。なかには、全体は従来の合唱の形を採りつつ、要所をOVPPで歌わせる、 いわば「ハイブリッド上演」を採る団体も。OVPPによる上演は、なお熱い注目を浴び続け、「ピリオド楽器とバッ ハの宗教作品の上演に、新たな可能性を切り拓いた」という事実も、揺らぐことはない。
カンタータ集 ジョシュア・リフキン指揮バッハ・アンサンブル<録音:1985年12月~88年4月〉 OVPP提唱者による録音も、ロ短調ミサ (81~82 年)の頃から5年ほどを経ると、器楽・声楽とも、バロッ クの語法が浸透、洗練の度合いを増す。しかし、強めの拍節やメリスマの処理など粗削りな表現には、なお時代を感じさせる。
マタイ受難曲 ポール・マクリーシュ指揮ガブリエリプレイヤーズ<録音:2002年4月〉とかく「巨大な作品」と思われがちなマタイ受難曲。 当録音は、OVPPの声楽と究極にまで揃った器楽編成、快速テンポで聴かせて、世間に衝撃を与えた。かたやハイドンを大合唱で録音するなど、マクリーシュ自身は柔軟な対応だ。
ケーテン侯レオポルトの追悼音楽 アンドルー・パロット指揮タヴァナー・コンソート&プレ イヤーズ <録音:2010年11月>パロットは、自著でもリフキンの説を肉付け実践においても、早くからOVPPでの取り組みを始め、洗練された、質の高い演奏で説得力を高めた。マタイ受難曲などから再構築された当作でも、OVPPならではの透明感あふれる声楽が光る。
ヨハネ受難曲(典礼において演奏されたバッハの受難曲の 再現) ジョン・バット(指揮,cemb.org) ダニーデン・コンソー ト<録音:2012年9月> バットは、声楽曲だけでなく、器楽曲にもOVPP的な 発想を導入する一方、フレンチ・ピッチでのバッハ演奏にも挑戦。このヨハネでは OVPPによるクワイア席の合奏と、大きな合唱による会衆のコラールを対置、おもしろい効果を得ている。
クリスマスオラトリオ シギスヴァルト・クイケン(指揮.vn) ラ・プティット・ バンド<録音:2013年 12月>OVPPの波は、遂に「大編成が当たり前」と思われていたクリオラにも。器楽陣も弦で2-2-1-1-1という“究極"の小編成。第1部目頭の合唱曲から、先入観を覆すようなすっきりとした響き彫りの深い表現に釘付けとなる。