笑うバロック(686) 指揮者レオンハルト
レオンハルト(1928年5月30日 - 2012年1月16日)の訃報を読んだとき。
あまりやり残したことがたっぷりあるというわけでなく、比較的幸せな生涯で、幸せな仕事を残した人という印象でした。
その冬は、前後して林光(1931年10月22日 - 2012年1月5日)、モーリス・アンドレ(1933年5月21日 - 2012年2月25日)の訃報も。
アンドレはギーベルと共演したBWV51のレコードがありました。昔むかし、輝かしいトランペットとはこうしたもの、と聴きました。ハイドンとかフンメルの協奏曲は、協奏曲というものの最良の実例と思っています。
林氏のこんにゃく座ソング集の「うんこ」の歌や東混「水ヲクダサイ」など、素晴らしかったです。こんにゃく座も東混もそれで食ってる「プロ」でした。音楽を食い扶持に選択した者の覚悟を、いつも思い出させる人でした。
どんな美しい人のうんこも臭い----うちの子供たちが好きな歌。
「永訣の朝」の朗読も素晴らしいし。「日本オペラの夢」も。文筆も一流でした。
レオンハルトは、指揮者としての顔の方がご縁がありました。CPEバッハのシンフォニアがもっとも繰り返し聴きました。モンテベルディ、パーセル、ビーバーの声楽作品とか。ラモーの「遍歴騎士」組曲も。
録音分野は大分以前に引退した状態で、アレグロさんの熱心な招聘が「活かし」てきたと思います。最初に実演を聴いたとき、これで最後と思ったものです。
もっとも、守備範囲の設定や発言にはいつも感心しました。エラスムス賞のスピーチ、使用楽譜は自筆で起こすとか。リラックスできるから007映画が好きとか。結構スピードを出す人だったらしいとか。
レパートリの中心のチェンバロの演奏は、実はほとんど聴いていません。しかしお弟子さんたちの顔ぶれがとても豊かで、教育者としての顔が素晴らしかったのでは、と。お弟子さんのひとりのお話では、2年目(そもそも2年も通う人はあまりいない様子)になるとチェンバロそのものの話はなく、もっと広範囲な教養的話題が増えたらしい。ブリュッヘンはレオンハルトのように骨董の壺を延々と眺めていることは自分にはできない、と。
映画に出て演じたせいもあってか、レオンハルトはバッハである----という喩えがよくいわれ、ある意味誤解を招いたと思います。反発する人もいたと思います。振り返ってみると、バッハとて鍵盤楽器に一生を捧げたわけではありません。市や教会との事務や教育活動、作曲という楽譜を書く仕事、遺産の楽器や楽譜のコレクションの意外なオタクっぽさ、楽器などに対する開発的興味----。チェンバロの仕事を余り重要視しないで考えると、もしかしたら、なるほどレオンハルトはバッハかも。バッハの享年よりも大分長生きしましたが。
わたしは温かい気持ちで、この訃報に接しました。
80を過ぎたら、この次はとか将来についてはなどとはいわないようにしている、というインタビューの答えだったと記憶しています。リアルだけれどユーモアを忘れない人だなあと思いました。
BGMはクーナウの聖書ソナタの「ヤコブの死と埋葬」にします。なかなか画期的録音ではないかしら。レオンハルトのドイツ語ナレーション付きです。中の解説ではコープマンがレオンハルトの紹介を執筆しています。
最初に買ったCDのひとつが、レオンハルトのロ短調ミサでした。すでにカンタータ録音を終えた後をリアルタイムで聴かせてもらいました。FM放送や図書館などでレコードを借りて聴いたカンタータ録音はどれもいまひとつピンときませんでした。旧録音のCD化が進んで、やはり1970年代前半がひとつの華かと。
リュリの「町人貴族」は、コレギウムアウレウム全盛にラプティットバンドを結成してのぞんだもの。デュフリとフォルクレのまとまった録音も、本人の序文とは別に聴きごたえがありました。フランスバロックの「発見」を先導していた、という印象。
個人的にパッと思いつくレオンハルトのCD
① CPEバッハ作曲 シンフォニア集
② ベルサイユの音楽
③ フォルクレ作曲 クラブサン曲集
④ バッハ作曲 コーヒーカンタータ&ヘラクレス・カンタータ
⑤ クーナウ作曲 聖書ソナタ集
⑥ リュリ作曲「町人貴族」
残念ながらこれら以外は、わたしの中ではどちらかといえば古びてしまった、と思います。バッハの鍵盤作品や宗教カンタータなどについては、特に。多様な演奏が次々登場し、自分の録音が古臭くなることを望みつつ、その発表の土壌を準備したことが偉大さであって、フルトベングラーやカラヤン、クライバーのような有名な指揮者のごとき捉えられ方や記憶のされ方は、故人は望んでいないように、わたしは感じます。
それでも説得力を維持していると思われる録音が、すいすいと思い出されるのですから、すごいことでしょう。
「全集」や「全曲」録音にこだわらない姿勢もよいと思います。レオンハルトの網羅しない余韻を残す「死」は、例えばリヒターの志半ばで未完のままの「死」の対極でしょう。その意味では、グールドだってリヒター寄りのロマンチック芸術家でしょう。
指揮者レオンハルトを支える三美神。
ちなみにリヒターの夫人の名はグラディス・ミュラー(Gladys Müller)というひとらしい。ネット上にデータは乏しく。グールドに至っては検索するとゴシップが読めます。