笑うバロック(636) フォリアの男のカタログの歌
1990年。知り合いの知り合いくらい。
その男フォリア・コレクター。
ある日両面印刷されたメモをもらいました。
リスト作り始めたので、と。
LPレコードからCDに移行して数年、バブルまっただ中。
自宅では家族に遠慮して大きな音で鳴らせない、とぼやいていました。
その人から、フォリアの存在そのもの、呼称の種類、メロディの種類、その魅力が時代を超えて何人かの作曲家に変奏を書かせたことなど教えてもらいました。その人を熱狂させた最初のフォリアは、おそらく3つありました。ひとつはH-P・シュミッツのフルート版のマレ作品。ひとつはブリュッヘンのリコーダー演奏のコレルリ作品。同作のメルクスによるバイオリン演奏。
その人は純粋に音楽を愛する人で、この演奏が最高だとか押し付けめいた話題を出すことはありませんでした。ただ全体を見渡せるところまで歩いていきたいと、という感じでした。
わたしはその人からコレクションの仕方を教えてもらった、といえそう。
CDを買い集めるなどお金のかかる道楽でしたから、はじめはFM放送をテープで録音して聴いたり、図書館のレコードライブラリーで賄おうとしました。公立の図書館は収蔵差が激しく、ある時は、マンローのリコーダーの芸術という2枚組を港区の図書館で見つけて、聴いたりしました。文化会館の資料室もお世話になりました。検索カードの抽斗戸棚の前で針金につながれたカードをめくりました。
検索のためにはそもそもの用語、様々な名詞などの語彙が必要です。
わたしは、この数年でやっとマレを「Marais」とタイプできるようになりました。もちろん「まりんまーらいす」と憶えるのです。「ふぉるくえらい=Forqueray」とか。
フォリアの男は、いつも電話帳のような洋書のカタログ本ガイド本と格闘していました。昔々の紙に印刷されたトマスクックを引くような、または印刷された赤いミシュランガイドを引くような。
データ配信にとってかわられるまで、珍しい作品のCDを探しあて入手しようと思ったら、目録とかカタログとか2段3段組みの文字列の間をぬって目的のレコードCDを探し、品番を控え、大型店に問い合わせて取り置き依頼したり。当時大きなレコード店には電話帳が常備されていて、その場で検索しその場で購入したり。
わたしの自宅のオーディオは、スピーカが分離でき背後にAUX端子がついたラジカセに、ステレオコンポからバラしたレコードプレイヤをつないで聴いていました。ラジカセは親に買ってもらい、レコードプレイヤはもらい物でした。
そんな、CDプレイヤを持っていなかった頃のこと、輸入CDでは見かけるようになった18世紀オケのデビュー盤をレコードで探しました。レコード店に入荷や在庫状況を確認してもらうのに個別にふられた製品番号が手っ取り早かったのです。電話問合せでも、レーベルによって違う記号があり、輸入クラシック盤の売り場スタッフはアルバムタイトルや作曲家演奏家名をカタカナで聞きとるより、品番の方が見当がつくので、お互い様助かりました。
大型店だと、個人コレクターの大口顧客のような紳士もいて、レコード店のカウンター受付のスタッフの中にホボ担当者がいて、前掲のようなリストを注文依頼として渡し、前回注文してあった入荷分ごっそり受け取っていました。1枚ずつレコード盤を出してキズやソリを検盤して。そういえば秋葉原にあった石丸電気は、購入枚数が多いと、LPが10枚くらいすっぽり入る、今風に言えばノベルティのトートバッグがありました。
紙のハードケースもあり。モノモチのよい人がいるものです。
上掲の本については下記noteに詳しいので参照いただきたい。この本は本当にすぐ在庫がなくなって古本もなかなか出回らなかったと記憶しています。そりゃ綴じをバラされてしまっては古本にもなりません。なってもきっとマーカーだらけでしょう。
ネット時代には不要になるか----と思ったのですが、やはり思いのほか重宝なものと思います。
珍しい作曲家の珍しい作品が、まず存在するのかどうか?録音されているのか?存在するとしたらなんという名称で検索したらいいのか?「トリオ・ソナタ」?「3声のソナタ」?「ソナタ・ダ・カメラ」?「パルティータ」?「シンフォニア」?作品番号があるのか?
この本は、たしか出版時点で録音されているタルティーニの作品がほぼ睥睨網羅できた----らしい。
最近でも、気になる曲、聴きたい曲がでてきたとき、例えばネット上にアップされて簡単に聴けないか、一部サンプルでもいい、そんなとき検索語を検索する必要があります。
主にアルファベット表記を探すのですが、ネット時代でも、文字が違うと大変。キリル文字、タイ文字、アラビア文字のネット情報は検索したい語の表記を検索しないといけません。ネット翻訳のレベルが上がったのでだいぶマシになりましたが。
生前、立花隆は英語で検索できることを説いていました。
そうどれほど翻訳ソフトが発達しても、そもそも訳が知りたい中身とその名称がはっきりしないと話になりません。