コーヒー店訪問 「退屈な」「踏み固められた」「当たり前の通り道」にある店
知人と馬事公苑の傍らのベーカリーカフェを訪問しました。パンを焼き、パスタを茹で、コーヒーも煎り、700円でランチがいただけます。会計のとき、わたしはランチのアイスコーヒーにクレームをつけました。ホットコーヒーを急冷するため氷上に注いで撹拌したのか、届いたグラスには、氷が残っていませんでした。あまり冷たくない薄めのコーヒーでした。
「きちんとしたコーヒーが飲みたい」。思いあたって、帰途駅そばの古い自家焙煎コーヒー店、珈琲譚を訪問。
コレルリのトリオソナタといっしょにコーヒーを飲んでいたら、澤谷氏のサイトで読んだ「レオンハルトの勝利」を思い出しました。
レオンハルトは一度だけ実演に触れました。プログラムはもう覚えていません。ただアンコールでBWV1012のサラバンドを弾いたように記憶しています。それから、休憩時間に自ら調律をていねいにしていたと思います。
そのコーヒー店のマスターは面長で無理をいえばちょっとレオンハルト似かも。
西洋のクラシック音楽は、99.9の同質性を合意して、差異を楽しみます。
演奏家はその差異をもって、自分とだけ向き合うナルシストになります。
最近は、コーヒーに偏ったというか、理詰めならぬ珈琲詰めのお店が増えています。先日訪問した船橋のコーヒー店の「222」まさに、何を訊いても、詳細はパッケージの注意書きをご確認ください、という感触。
表記以外責任をもたないと、聞こえます。表向きは、美味しいのは生産者のおかげ、自分たちは微力ながら、そのお手伝いをしています。それに代価を払うわたしに対しては?すべてパッケージに書かれております、という具合。
岸先生のいう〈「語り」が「語らい」になる〉のがコーヒー店だと思いました。
壊すばかりで、回復する力がない、のもその通りです。
「退屈な」「踏み固められた」「当たり前の通り道」にある店は「めんどくさい」けれど、語らずにはいられない「語らい」のあるコーヒー店でした。
浅煎りから中煎りにかけて、印象的なエルサルバドルやルワンダが並んでいます。中深煎りマンデリンや深煎りケニアもカラメルの甘苦さにあふれていました。中深煎りブレンドも焙煎豆の表面になんとも美味しそうな油脂がまわって薫り高く。今度はきちんとブレンドにハニートーストをいただきます。