「不平等社会日本」のあとがきにある佐藤俊樹先生と父親の対話の部分で、わたしはいつも涙がでてくるのです。
自分にもレベルは違え同じような経験がありました。わたしはこの本の分類では「B雇下」といえます。父はわたしが子どもの頃、「B雇上」から「全自営」に移行した人物に雇われ、茨城に住み込みで勤めに行っていました。この雇用主である自営事業主が交通事故で亡くなり「B雇上」から「B雇下」になりました。そうした家で育ったわたしは、アルバイトからそのまま就職という、簡単な道を進みました。
わたしは、ともに「全自営」で育った夫婦の「全自営」の事業所に勤めました。仕事は例えれば「不平等社会日本」に登場する「カリスマ美容師」を育成するというものでした。もちろん業界は違いますが。
2000年当時、わたしがカリスマ美容師のページにひいたマーカーを下記に挙げます。
わたしは、大きなカリスマのコバンザメとして各地に疑似カリスマを増やすことに努めてきました。上の引用の太字を大切にしながら、多くの人びとと交流してきたつもりです。
カリスマ美容師の時代のような「自営化」ルートは、周期的に産業化します。その片棒担ぎをずっとしてきました。
「機会の不平等は後からしかわからない」ので、「実績」ではなく「努力」が市場の現実であり、「学歴競争とは別の種類の不公平」がありました。カリスマの方法を踏襲してもうまくいかない事例がでてくるものです。
個人的には、それが悩みでした。
大きなカリスマには、自分の方法があり、その方法を十分に実施できる条件のひとに伝授していました。コバンザメには理解できないので、誰にでも適用し、そのために不成功事例を作ってしまったのかもしれません。
2021年のインタビュー。
最近になってやっと「『一国一城の主』=自営になるルート」に最初からきちんと「撤退」「方向転換」の考え方を組み合わせて、そうした希望者と対話できるようになった、かと思います。残念ながら間に合わなかった方もたくさんいました。わたしは何も保障する力がありません。「つくる」「増やす」を考え、「つくらない」「増やさない」については正直何も考えませんでした。
「不平等社会日本」の読後、ずいぶん厭世的になりました。
書かれた佐藤先生も安易に語っているのでないと、その後のエッセイなどを読んで感じました。もちろん、わたしは学術書は未読です。わたしに読めるのは新書やエッセイまで。
ところで、2000年のときは、すべての「ひと」の話でした。四半世紀を経て、今度は「ひとびと」の話です。
「寄せ集め仕事」。好い言葉です。カリスマ的なひとは自分の考えをプライオリティのあるオリジナルと主張することがあります。でも、それだと後に続く人がすべて二番煎じのコピーとなってしまいます。そうでなく、ほぼすべてのひとが「寄せ集め仕事」なのだ、と考えられることは、わたしには大切なことです。
こうまとめられると、なんと簡単にあっさりと言ってくれるものだと思うのですが、佐藤先生自身、師に言われた「自分の目と手で調べて考えろ」を270ページもかかって述べておられます。
わたしは佐藤先生の一般向けの著書を読み、勝手に四半世紀前にいただいた宿題と思い、「自分の目と手で調べて考えろ」を心がけております。