2017年のスクラップから----「名誉」に恥じぬような「プロ」----「理想がないのが理想」----「役立つ」ことのみを追求した最悪の結果

2017-04-28メモ
田中純先生の贈る言葉から
ゼミの卒業生に対して、研究者として生きる心構え。
《 ひとりひとりの「名誉」に恥じぬような「プロ」「セミプロ」として 》
とにかく自分が恥ずかしくなりました。わたしが関わった仕事は、コーヒー店を開きたいという希望者に、冷厳なる経済の原理の中で、《 わたしたちは否応なく「貧者」たらざるをえない 》をある意味強いてきましたので。
「プロ」としての「名誉」という言葉、疎かには使えませんが、正攻法で贈れる田中先生は、なんと素晴らしい方なのでしょう。

生半可なかたちで答えなど出ない「問い」こそを抱え続けること

巨大な「問い」と遭遇してしまう或る「運命」のもとに生き、「歴史」こそを絶対的な審判者とするとき、わたしたちは否応なく「貧者」たらざるをえないのかもしれません。しかしそれでも、わたしは「名誉」を守りたいと思う。

いまの皆さんには重すぎる言葉に感じるかもしれませんが、この「名誉」という言葉を、皆さんの門出に際して贈りたいと思います。皆さんひとりひとりの「名誉」に恥じぬような「プロ」「セミプロ」としての4月以降の活躍を期待しています。


2017-05-19メモ
「理想がないのが理想」
2017年5月19日朝日新聞朝刊の3面記事。「首相メッセージ、読み解くと 憲法9条に自衛隊を明記し、2020年施行をめざす」の石川氏の短い解説をスクラップしました。

人と人が分断される社会、これは確かに困ります。そのための「無色透明」「理想がないのが理想」というのには共鳴します。
カール・シュミットの研究者らしい。ナチに協力し失脚し、ニュルンベルク不起訴の学者。今の日本に必要な逞しさということかしら。
「美しい」も大切だと思うのですが、「美」に関して「多極共存」は確かに大切でしょう。先日思わず買ったブルーの花瓶が象徴的です。わたしは赤い茶碗も黒い茶碗も好きです。あえていえば美味しいお茶を飲み干すことが、グローバルな理想で好いと思います。それを局所的な「美」味しい香りだけ、「美」味しいカップだけ、を理想の「美」として押し付けるのは「履き違え」だと思います。隣の国でいただく最高に「美」味しいお茶たちが、なぜか「無色透明」に感じた、それがきっと間違いでなかったと、今日ちょっと安心してしまいました。
組織のミッションを掲げろ、展望を語れ、理想を語れ、といわれて正直辟易し疲れ果てました。高く掲げるものがない、語る理想がないのが、そんなにも悪いことなのか悩んでいました。「理想なき憲法」いいなあ。石川さんは25条を大切にしてくれそうです。でなければ「多極共存」なんて望めませんもの。

■「理想なき憲法が理想」 石川健治・東大教授(憲法)
 立憲主義的な憲法の定義のなかに、理想はない。特定の理想を書き込まないのが、理想の憲法だ。
 「憲法は国の未来、理想の姿を語るものです」という安倍首相は、そこを履き違えている。理想はひとつではない以上、異なる理想をもつ人々が共存するためには、無色透明の国家をつくって、国民に特定の理想を押しつけないのが最上の方法である。
 もちろん、理想をもたない国家では、元気が出ない。だから、ひとは憲法に理想を書き込もうとするのであり、それ自体は避けられない。多くの犠牲を払ったあげくの敗戦で、惨めに武装を解除された日本も、だからこそ平和国家という高い理想を憲法に書き込んだ。この気分に「押しつけ」はなかったはずである。
 しかし、仮に憲法が理想を掲げるとしても、多極共存の枠組み(権力分立と権利保障)としての立憲主義を支え得る、普遍的に通用する理想でなくてはならない。それはグローバル化した時代の要請でもある。時代錯誤な「美しい国」の理想が憲法に書き込まれることで、それを「美しい」とは考えない日本人が、非国民として排除されるようなことになっては困る。憲法改正手続きを通じて、国民は分断され、少数派が抑圧される。それは最悪のシナリオである。


2017-06-04
2017年6月4日、朝日新聞のコラム(悩んで読むか、読んで悩むか)水無田気流氏の「『何かのために』ではなく」をスクラップ。
ハイデッガーの「技術への問い」を取り上げています。
「役立つ」ことのみを追求した最悪の結果----それが正義になることが多い時代になりました。
水無田氏の別な著作の宣伝文。----家庭で孤立する中高年、生涯未婚者増、年間約3万人の孤独死、産みたくても産めない「社会的不妊」、「普通の幸せ」は、今なぜこれほどハードルが高いのか?----というテーマで著作されている人らしい。
ふと、グレタ・ガルボの名言を思い出しました。
I never said, ‘I want to be alone.’ I only said ‘I want to be let alone!’ (独りになりたいなんていってないわ。ただそっとしておいて欲しいといったの。)

(前略)ただ相談者さまの言葉で気になるのは、哲学は現代の問題解決に「役立つ」のか、との問いです。私見では、哲学は何かの役には立ちません。たまに、うっかり役に立ってしまうこともあるとは思います。でも「何かのために」が前面に立ったら、何か違うものになってしまうのではないか……と私は考えます。哲学者マルティン・ハイデッガーは『技術への問い』の中で近代技術の本質を「Ge―stell」(ゲ・シュテル)と論じました。本書では「集―立」と訳されます。あらゆるものを役立てるように駆り立てていくため、「総駆り立て体制」と訳されることもあります。近代技術は、自然を人間に役立つものとして捉え、資源として役立つように変換します。あらゆる人的・物的資源を一つの目標に向けて役立つよう動員する機運が最高度に高まるのは、集団の危機感が最強度に共有される戦争状態です。ですから、私はこの言葉の一番しっくりくる訳は、「総力戦体制」だと思います。「役立つこと」への総力戦体制。これは善悪を問わず、資源をただ目的のために集約します。近代技術は、効率良く大量殺戮(さつりく)に役立つ兵器を開発して来ました。「役立つ」ことのみを追求した最悪の結果は、もうご存知(ぞんじ)でしょう。混沌(こんとん)とした今日だからこそ、「役立つこと」そのものを問い直すという、哲学の役割は極めて大きいと私は考えます。


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