スクラップ インスタの広告から、「独立開業の希望」を産業化するビジネス
チョコレート。魅力的だが日本人には「向かない」と思います。
薬品と一緒。白人と比較すると、おそらく日本人は1/2以下の摂取量ではないかしら(不正確な想像ですが)。
ご婦人にいたってはもっと少ないと思います。
いい加減な推測ですが、日本人は味見好きだが、商売になるほど食べない----のでは。
わたしも好きですが、例えば明治の「トライアル6」5g×6種=30gもあれば十分。限定生産197円ですと。価格は「?」ですが、品質や味は指標になりそうです。
大企業が「手作り」して安価で販売は「可」、ここでの利益は見込まずブランド構築優先。
小規模な店は、当然高価になり、小さなマーケットの取り合いになり、しかし実際の利益は「見えない」ので、軒数が増えて過当競争になり、体力が持たない店から倒れていきます。高価なチョコレートの需要が宣伝され、大資本と結んだ元「小規模な店」だけが生き残ります。(ATM跡地の高価格食パン販売専門店も好例かも) しかし、それも大企業とのマーケット「棲み分け」を侵犯していくと呑み込まれます。現代では呑み込まれても、ブランドの価格帯と名前はサステインされるので、消費者は困りません。
先日、原宿のネスカフェ前を通りつつ、今も変わっていなければ、少し先にあるブルーボトルコーヒーも出資オーナーは同じではなかったか、と。ふたつのブランドを維持し、消費者はお好みで使う、経済的には良好です、かな。同業者の世界でも困る人はいないはず----かしら。
「呑み込まれる」というのは、例えば原宿にあったオーバカナルが売られ売られてドトール傘下、そのドトールも日本レストランと合併し、最近では1340店のナショナルカフェチェーン。オーバカナルの創業者や関わった人たちは、みなさん幸せをつかんだことでしょう、きっと。
「呑み込まれる」というのは、小さく始めて資産価値を高めるように経営し、事業体自身を商品化するケースも。
こうした中で縮小均衡のまま風に、コンサルタント形式でチェーン展開するところも。「ビーンズショップ」とか「コーヒースタンド」というカタカナ名称が並んでいると「ザとジ」の匂いがします。
「独立開業の希望」を産業化することは、住宅ローンによる土地建物売買による内需拡大とバブルを想起させます。昨今ではコンビニの産業化が変化してきました。着々と現契約者の人たちを置き去りにして、「働き方改革」以後の新コンビニチェーン産業を水面下で動かしている、そんな気がします。