笑うバロック(639) シュルツ作曲ほぼ最後のリコーダー協奏曲 [58候補]

ヨハン・クリストフ・シュルツェは、1733年10月11日にベルリンのプロテスタント聖マリア教会で洗礼を受けました。両親は、靴職人エフライム・シュルツとアンナ・クリスティーナ・シュテルケン(マルティン・シュテルケンの娘)でした。彼らは1731年9月に聖マリア教会で結婚しました。ヨハン・クリストフは、1785年2月11日ベルリンのドロテンシュタットの教会でソフィー ・ヘンリエッテ・エドラーと結婚しました。1785年8月2日に娘のマリア・カロリーナが生まれました。
シュルツェは、18世紀後半から19世紀にかけて音楽活動を行ったドイツの作曲家です。今日ほとんど忘れられていますが、彼の作品は時折演奏されます。彼は当時すでに時代遅れだったリコーダーのために書いた最後の作曲家の1 人です。
シュルツェは、1768年にカペルマイスター (「音楽監督および第 1 ヴァイオリン奏者」)からデッベリンシェ劇場に、後にベルリンの王立国立劇場で活躍しました。彼は後代の作曲家カール・フリードリッヒ・ツェルター (1758–1832) のヴァイオリン教師でした。ツェルターはゲーテの詩「トゥーレの王」(1811年)に付曲し、理由は不明であるが、管弦楽編曲する作業をシュルツェに任せました。彼の人生の詳細は不明です。ヨハン・クリストフ・シュルツェは、1813年 8月22日にベルリンで亡くなりました。

ウィキ検索による

プレクラギャラントな協奏曲なので、検索すると思いのほか録音あり。
演奏家が勝手にカデンツァつけてはいけないのかしら。時代や曲の性格からあってもよさそうではと思わせます。

1980年ころメロディアEPで内容不詳

1930年生まれのカール・シュタンゲンベルク氏。

1990年ころ、ティル・ハーベル・トメ氏のリコーダー、自身のアンサンブルで。ドイツ語圏では比較的名が知れていたのかしら。

Till Habel-Thoméの録音


2009年、掲げていないけれど「ドイツ語圏の」というのにふさわしく、このメンバーなのでシャキシャキ進むところも「らしい」。エマニエルのフルート協奏曲みたいにシャキっと進まないのも悪くはありませんが。
テレマンはリコーダーの曲をきちんと提供した、楽譜を買って演奏する人のための作曲家。グラウプナーは前稿でとりあげたヘ長調組曲と同曲。ブリュッヘンの若いころは、ビバルディやサンマルティーニを合わせないとレコードにできなかったように思います。指揮者時代でも望まれるのはバッハの再構築版リコーダー協奏曲。


動画には2017年のソウルの映像も。
ほぼこれ1曲の人なのですが、そこがいいんじゃない。

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