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余談  あまりいじめるな、われわれはかよわい

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----私は学生時代、クレープのチェーン店カフェで働きました。オーナー夫婦は人柄がよく、アルバイトの自分にもよく目をかけてくれました。そこのご夫婦と同じようにクレープの店がやりたくなりました。それで卒業後そのまま店で働き続けました。
3年ほどたち、チェーン本部から、別な駅前の店で高齢のために閉店を検討中のカフェがあるのだが、オーナーを引き継ぐ気がないか打診されました。二つ返事で引き受けました。オーナーご夫婦も喜んでくれました。自分たちの店より、有利な駅前店、若い私にはうってつけだと。
事前に何回か内検した折は、普通に見えましたが、いざ引き取ってみると、次々と「費用のかかる」故障が見つかりました。
結局、公庫から借入してほぼ全面改装になりました。後になって、どうもやる気の減退した不良店を本部から体よく押し付けられたのではと疑いたくなりました。私が引き受けなければ、本部は業績1店舗分減らすことになったでしょうし。勤めたときと違って、オーナーになるにはチェーン加盟料を支払わないといけない、その分は蓄えで何とかなりましたが、店舗の造作が、居抜きのまま使えると踏んでいたので、改装は読みが甘かったと反省しました。それを別なチェーン店オーナーと話すと、それなら、まったく新規に始めるのと変わらないくらい出資したね、といわれました。
それでも、当時クレープカフェはまだまだ流行っていて、繁盛しました。よい出会いもあり、結婚し、2女を授かりました。現在長女25歳。次女21歳。来春次女が就職すれば、子育ても全うしたことになります。
妻が昨秋、突然胸の痛みを訴えて緊急入院し、たった一晩で亡くなってしまいました。まだ、実感が湧きません。一生懸命営業してきて、その報いがこれだと思うと、がっかりです。しかし、それだけでは済みませんでした。一生懸命営業した「ツケ」が溜まっていたのです。30年営業して、結局最初からの借金を完済することなく、借り換えが続き、借入が膨らみました。元オーナーは完全なスケルトン物件から、すべて造作して開業したので、エアコンやトイレまで、あらゆることが借りたオーナー側の負担になっていました。いい時代もありましたので、かなり借金を減らした時期もあったのですが、結局「水もの」の商売ですから、荒波が底をさらうような時期は、返済に苦慮し、結局は現在も一番最初に借入した金額とほぼ同額が残っています。きっと7、800だと思います。30年前は多少なりともまだインフレで返せそうな気がする金額でした。デフレ不況の今、同じ金額がこんなに重苦しくのしかかってくるなんて想像もできませんでしたよ。
7年前に、クレープを焼く機械を最新型に変えました。すごくよく焼けるもので、デザートだけでなく、おかずクレープもどんどん導入しました。ガレットっていうんです。学校に通って勉強もしました。その段階で、チェーン本部と意見が合わなくなり、チェーンから離れて営業することになりました。技術も上がり、作るものは美味しくなって、意気揚々と看板を掛け変えてみると、ガクンと売上が減りました。意外なもので、看板が変わったらオーナーも変わったと思ったというお客様や、オーナーの私が世話になったチェーンに歯向かったのがよくない、という意見まで。コンビニとかの問題、よくわかります。世間一般には、チェーンオーナーが本部にお金を払う側だって、なかなか通じにくい。確かにお世話になったなあ、と思える時期もありましたが。時がたてばたつほど、やはり本部が儲ける構造が絶対で、よほど商売上手でないと、死ぬまで独楽鼠なんだなあ、と。
大体、「ザ」と「ジ」なんていったって一般のお客様として来店してくださる人には、ちんぷんかんぷんですよね。
結局一進一退のまま、新規で導入した機械の分がまた、のしかかってきました。
店の家賃が15万円。自宅マンションの賃料が9万円。返済が10万円。チェーン時代、好い時は日商5万円程度はありました。ですが、本部への仕入れの支払いが少しずつでしたが、上昇し、子供の養育費も増え続け、それでもお客様が増えるようにいろいろな工夫をしたのですが、やはりそれ以上は上がらないという上げ止まりになりました。ですから、チェーンから離れるという選択しか支出を減らす方法が思いつかなくなっていました。だって本部に相談すると、改装リニューアルというんです。もう借りられないというと、本部が保証するからと。それではますます借金が増えるだけです。それなら、自分の責任で借りて使った方がよいと判断しました。
チェーンから離れて自由になって、ああこれからはすべて自分で決めて、利益は自分がとれるんだと思うとうれしくなりました。でも甘かった。借金が多くなったのに、店での売値はなかなか上げられませんでした。勉強して少しでも美味しいものを提供できている、そんな気持ちはあるのですが、値付けの段階になると、どうしても高く設定できない。知り合いからは、街場の大したことない店でもデザート800円、おかず1200円くらいは当たり前だ、といわれました。こだわるとコストが上がって利益が減り、こだわらないと売値が高く感じました。
ポータブルの機械を導入して、移動販売もしました。でもこれがまた車両の改造、場所代などがかかります。はじめのうちは、定休日を返上していろいろな場所に繰り出して、楽しかった。でも、それを続けると、疲れがたまってくるし、本店の商売が手薄になってきて。店番に雇ったバイトがお釣りを間違えたり、ネットに変な投稿をしたり。結局辞めてもらって、自分たちだけになると、支出も減ったけれど、疲れはとれない。
気が付けば、家賃や、水道光熱費が滞納になったりして、それらを工面して金策しているうちに、返済が決定的に滞ってしまいました。保証協会に代弁済してもらうことになりました。もう店を閉じようと家族で話し合いましたが、店や地域のお客様にも愛着があり、なかなか踏み切れませんでした。
自分は何とか働き続けることができましたが、妻は無理が祟ったのでしょう。あれから半年。お弔いも済んで落ち着きました。ええ、よく言われるのですが妻の保険金ですよね。それで、きれいになるのじゃないかって。実は、数年前に妻も私も保険はみな解約してしまっていて、まとまったお金は入りません。それどころか、カード会社のキャッキングローンとかで、仕入れの不足に充てたりしていたので、妻名義のローンの返済を請求されています。仕入も支払いが伸びて、機械とか目ぼしいものを差し押さえたいと言ってきています。
こんなんで、どうやって閉店したらいいんだか。
子供が手伝うって言ってくれるのですが、妻なら渡すお金がなくても勘弁してくれって言えたのに、子供にはなかなか言えないものです。子供もしばらく手伝って、ほぼ自分の取り分がないことを実感したのか、復職して、忙しい時間だけ手伝うようにするっていうんです。でも30年間今の店しかやってきてなくて、一文無しになって放り出されたら、一体その後どうすればいいんでしょう。閉店するんだって、お金がかかります。
なまじ営業して、それなりの売り上げもあるから、公営住宅にも入れません。家賃を安く抑えようにもできない、かえって引っ越しすれば高くつきそうです。来年下の子供が就職するのが、転機だと思っています。子供たちは健気に続けようと言ってくれるのですが、子供の未来にまで借金を負わせたくありません。ずるいのは承知しているのですが、夜逃げの算段を夢に見ます。悪いのは私、それはわかっている、つもりです。でも、もう打つ手なし、だと思うんです。今は後ろを向いて逃げること、それが正しいことなんじゃないかと----テレビで話題の佰食屋みたいな店になりたいなあ。限定100食だけで儲ける、いいなあ。えっ、100食限定を100種100店作ってるんですか?うらやましいなあ。

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