読書の感想 サードプレイスの日本語訳は「居酒屋」か「赤提灯」が正しい(2015年1月13日)
オルデンバーグの「サードプレイス」の解説を書いていたモラスキー氏が光文社新書で上梓した「日本の居酒屋文化 赤提灯の魅力を探る」をkindleで。みすずの厚い本で「コミュニティの核になる『とびきり居心地よい場所』」と原題を含めて副題をつけなければならなかった、ある意味説明の難しい言葉(サードプレイスやグレートグッドプレイス)について、モラスキー氏はわたしたちにわかりやすいように、日本の(独特な)居酒屋文化を通してサードプレイスを説明する格好の副読本を書いてくれました。
フランスでいうところのカフェは、日本の喫茶店とかカフェとは違うのですが、では何に対応するのか。すべてではないけれども、モラスキー氏の書く居酒屋とか赤提灯はかなりそれを理解するのに役立ちます。特にわたし個人がいつも飲食店に入って抱く、満足や不満が共有されていたので大変好感を持ちました。お客側から見た大変貴重なサービス論にもなっていると思います。小規模な個人経営の店がどうすれば継続するのか?そのオーナーはどうあるべきなのか?普段から思っていたことが書かれていて、ああ皆実は同じことを考えているものだ、と。経営者にとっての「サービス」は「経営」そのものと表裏一体で分離して説明するのが難しいものです。でもモラスキー氏のような視点と書き方で、なるほどです。モラスキー氏の冷徹な観察眼を想像すると、この人物は全く「酔った」気配がなく、アルコールを提供する店のことを書いているのに、アルコールが全く匂いません。彼は酔っているのでなく、とても楽しんでいます。つまりアルコール提供の有無に関わらない普遍性を感じ取りました。それは、アルコールを提供しないタイプの飲食店でも応用活用が可能と思われます。例えばお菓子屋さんのような店。立呑みの酒場などの解説から連想すると、仮にお菓子屋さんに座って食べられるスペースの有り無しも関係ないと納得してしまいます。
普段からカワグチヨーコのような輩の取材したデータなどには悪寒を感じていました。この観察者からは「楽しむ」風が一切感じられず冷静に装わされているものの中身はベロベロに「酔って」いる、モラスキー氏の本を読んでそう感じました。カワグチヨーコのデータからは良い意味での主観が感じられない、ハズレたら自己責任でお願いします、という読む者に対する冷たさばかり。モラスキー氏は反対に読み手が失敗しないように、自分の主観を信じて、ていねいに「よい店」探しに協力してくれます。読み手に対する思いやりが感じられます。
カワグチヨーコと同じことをタカイヒサユキなどにも感じます。モラスキー氏の本に取り上げられた店の数々、批判的に書かれている店もあるのですが、違和感を覚えない、失礼な書き方になっていないと思います。(日本語の文章だけを駆使しているところも手伝っていそう)
タカイヒサユキの「カフェと日本人」などどうか。店によっては同列に並べてほしくない、と感じた店もあるのではないかしら。いわゆる喫茶店は、多様な形態があったので、振り返ると芳しくない何某喫茶があり、特に純喫茶などとうたっている店などは同列に論じてほしくないと思うようです。特に経済関連の書き手にはモラスキー氏のような基礎概念として「人」を入れ込むことがないように感じます。それならもっと別な取材先があるだろうけれど、どの領域でもそこで生き残ってきた有名店を取り上げれば表現したものの売れ行きが良くなるかもしれない、そんな思惑がありそうな。
光文社新書はなかなか意欲的です。岩波新書のグローマー氏といい、新書はこうした書き手に対して門が広いのでしょう。
それから余計なことですが、kindleはラインがひけて、ラインをひいた場所が後で一覧検索できるようになっていることがわかりました。おバカなので気が付きませんでした。こうやって使うのですねえ、頭のいい人たちは。