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ウエウエテナンゴ・ソングブック

「ザ・ヒューヒューテナンゴ・ソングブック」とならなかったのは、グロッサにスペイン語圏の人が関わっているからかしら。輸入元にコーヒー好きがいるのかしら。
素直なテナーと撥弦楽器がミニマムに再現しています。
メディテラネなサバルたちの活動は時としてエキゾチックが過ぎて洗練と野趣が中途半端な印象に聴こえることがあります。
アルバラードの歌は飾り気はないけれど、映画「ミッション」(1987年日本公開)のガブリエルのオーボエに寄った清楚洗練な印象です。歴史的に清濁併せのむ音楽です。(もしかしたらハーメルンの笛吹き男の末裔かも)

「ミッション」1740年代スペイン統治下の南米パラナ川上流

わたしには黒沼ユリ子さんの「メキシコからの手紙」のBGMとも聴こえます。新書は1980年刊、黒沼さんは家族でメキシコの山村に住み、たしかご自身はそこから演奏活動に飛び回っていたと思います。黒沼さんは引っ越した山村風景にマーラーのト長調交響曲をあてたのではなかったかしら。

黒沼さんが住んだイダルゴ州ウエフットラ

1990年代にヒリアード・アンサンブルが「新世界の音楽」を。これも民族音楽色はありませんでした。

〈新世界の音楽〉は、新大陸におけるキリスト教の音楽を集めたものである。コロンブスがバハマ諸島に到達したあとも、スペイン人による“新世界”への進出は続いた。1511年にはスペイン人がキューバ島を征服、そして、1521年には、遂にメキシコー帯を支配していたアステカ王国を滅亡させてしまった。メキシコには、スペイン本国から副王が派遣され、ここは以後スペインの植民地となってゆくのだが、スペインにとっての重要な政策の一つに、原地の人々のキリスト教化があった。そして、もちろん音楽はその重要な手段の一つであった。ここでは、スペインの作曲家による宗教音楽が次々と演奏されていったが、スペインからメキシコにやってきて作曲活動を行なった音楽家も何人かいたのである。


ウェウェテナンゴ・ソングブック~16世紀グアテマラからの音楽

かつては車でさえ行くことができなかった人里離れた3つの山村に、18冊の合唱曲集が保存され何世紀もの間、地域社会で大切にされてきました。今日、これらの貴重な資料はアメリカの大学図書館に保管されています。これらコレクションは、音楽がいかに先住民の日常生活や精神生活に溶け込み、カトリックやその他の外部からの影響に対する抵抗や強制的な適応の象徴となったかを示しています。コレクションには数多くのヨーロッパ音楽のコピーが収められていますが、これらのヨーロッパの形式は、先住民の心、手、声を経て、オリジナルの創造物へと変化していきました。

アルゼンチン出身のテノール歌手、ホナタン・アルバラドとビウエリスト、アリエル・アブラモビチは、これら1582年から1635年の間に書き留められた350以上の作品の中から、ミサ曲、モテット、シャンソン、ビリャンシーコを組み合わせたアルバムを構成。このセレクションを通して、バロック以前のヨーロッパとメソアメリカの宣教師たちとの間の音楽の大陸間交流についての洞察を示しています。
アムステルダム音楽院で声楽とリュートを学び、古楽の演奏家として活動するホナタン・アルバラドは、世界中に散らばる中世やルネサンスの写本に収められている歌や、ヨーロッパやアメリカ大陸の口承伝承の中にある歌などをレパートリーとしています。アリエル・アブラモビチは、スイスのバーゼル・スコラ・カントルムでホプキンソン・スミスに師事。

ウエウエテナンゴにあるコーヒー農園のサイト。
これを未開の地というか、自然の恵みというか。

「ウェウェテナンゴ・ソングブック~16世紀グアテマラからの音楽」は、「からの」であって「の」ではありません。
メキシコやブラジルのトラッドは聴いたことがある音楽もあろう。でもグアテマラのウエウエテナンゴのトラッドは、残念ながら全く詳しくありません。
でもどうでしょう。ウエウエテナンゴのコーヒーは「からの」であり、「の」でもあります。
そういえば先日ウエウエテナンゴのコーヒーを楽しんだばかり。その店は「からの」と「の」をわきまえた飾らない素直な美味しさにあふれていました。

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