(2018年3月)実演の記録 期待の若手イニツィウムのタリスとマウエルスベルガーの哀歌 2018
vocalconsort initium ; 2nd concert ボーカルコンソート・イニツィウム、3月23日(金)日本福音ルーテル東京教会(大久保)の演奏会に出かけました。
久しぶりに心地よく全編集中させられた好い演奏会でした。
上声がよく聴きとれるタリスの後で、ジェズアルドを聴くと不安定な揺れを感じます。指揮者はおふたりとも若々しいメリハリの動き。それぞれ指揮の時はコーラスマスターになります。おそらくかなり音程もよく、練習も十分な印象。ブルックナーの後でディストラーを聴くとセンチメンタルに聴こえ。そして、前半最後はドレスデン空爆後の受難節にマウエルスベルガーが書いた哀歌。昔初めて聴いたシュッツ合唱団の歴史への共感めいたものとは違う歌唱。彼の地ドレスデンの復興と、震災後の日本の復興と、ずいぶん違うものです。若いイニツィウムは、日本の復興に懐疑的と聴こえましたが、違うかしら。
後半のメンデルスゾーンの曲の不思議な「明朗さ」で少し希望をもらいました。大変清々しい気持ちになってコンサート会場をでました。まだ自分たちのアンサンブルの「色合い」までは出せないけれど、必死に丁寧な歌唱をこころがけている様子。エリクソンのような北欧のシャープさクリアさと、オランダからフランスにかけての柔軟さ温かさが、どっちつかずのような、旨い折衷のような----でも好感。不思議とドイツ系には聴こえませんでした。もちろんイギリスのとは違いますし。
新大久保はリトルコリアンに変貌し、とはいえ韓国は思いのほかキリスト教国ですから、こうした風景は違和感がないのかもしれません。
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vocalconsort initium(ヴォーカルコンソート・イニツィウム)第2回単独公演「受難」
ソプラノ、阿久津靖子、鏑木綾、北山望、利根川佳子、鍋島彩。
アルト、Agnes Schnabl、片平理絵、田中寛、長田芽生子、湯田佳寿美。
テナー、小沼俊太郎、佐藤拓、坪井一真、富本泰成、林史哉、町村彰。
バス、Benedikt Franz、Steffen Krüger、佐藤伸行、原田敬大、平鹿一久、南方隼紀。
題1部、谷郁。第2部、柳嶋耕太(指揮)
Thomas Tallis (1505? - 1585) : Lamentations of Jeremiah 《エレミアの哀歌》
カルロ・ジェズアルド(1566-1613):《闇に包まれた》
パブロ・カザルス(1876-1973):《すべての人よ》
Anton Bruckner (1824 - 1896) : Christus factus est 《キリストはこうあらせられた》
Hugo Distler (1908 - 1942) : Fürwahr, er trug unser Krankheit 《まこと、彼はわれらの病を運んでくださった》
Rudolf Mauersberger (1889 - 1971) : Wie liegt die Stadt so wüst 《街はなんと荒れ果ててしまったのか》
休憩
バッハ、ニシュテット(1915-2014):《甘き死よ来たれ(不滅のバッハ) 》
レーガー(1873-1916):《神の子羊》
Felix Mendelssohn (1809 - 1847) :《詩編22 わが神よなぜわたしを見捨てるのですか》
Johannes Brahms (1833 - 1897) :《夕べのセレナーデ》
Darthulas Grabengesang 《ダルトゥラの哀悼歌》
Felix Mendelssohn (1809 - 1847) : Richte mich, Gott 《わたしを裁き給え、神よ》
今回のテーマは《受難》。Thomas Tallis(トマス・タリス)、Felix Mendelssohn(フェリックス・メンデルスゾーン)、Hugo Distler(フーゴ・ディストラー)、Rudolf Mauersberger(ルドルフ・マウエルスベルガー)をはじめとする様々な作曲家によるキリストの受難に関わりをもつ作品に、Johannes Brahms(ヨハネス・ブラームス)の憂いに満ちた作品を添えてお届け。苦しみの音楽から祈りの本質へ迫ります。