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山崎先生のミームを感じるシルヴァン・旭西・ギニャール著「筑前琵琶選集二十二曲へのいざない」

筑前琵琶のシルヴァン・旭西・ギニャール氏が音源付きのデジタルブックとして、ご自身の研鑽された筑前琵琶を紹介する資料が公にされています。
階位について、楽譜についてなどもさらりと触れられています。

日本の琵琶とその語り物音楽の多様性が、グローマー氏の「瞽女と瞽女唄の研究」のような形にさせなかったように思います。
デジタルやらネットやら、なにかのきっかけに検索をしていくと、おっ、こんなものがでていたのか、と驚かされます。便利なのですが、こちらから積極的に検索しないといけません。
きっかけは、NHK「芸能きわみ堂」の琵琶の回。「びよーん、さわり、かたり」編。

先日同番組の再放送で鑑賞した藤倉大特集が興味深く、その後の予告で琵琶回をしりました。西洋式の五線譜で尺八の教則本を書いたのは山本邦山でしたか、尺八人口が増えたでしょう。批判もされたでしょう。
琵琶の回では、鶴田先生が紹介されていました。さし挟まれた世界の小澤のインタビューが「世界の小澤」で笑ってしまいましたが。

ゲストは坂田美子さん。
「扇の的」を披露。「扇の的」の作者が気になって検索を進めました。
「扇の的」作詞者田中濤外は水藤錦穣ゆかりの作詞家でした。錦穣が節を付け、おそらく弟子たちが持ち時間にあわせて工夫を凝らし、でしょうか。水藤錦穣同門が鶴田錦史。鶴田に師事した半田淳子さんの教え子が坂田美子さんになります。

「扇の的」 田中濤外:作詞 坂田美子:編曲

検索結果の果て、シルヴァン・旭西・ギニャール氏に行きつきました。
わたしは聴いただけで流派はわかりません。とはいえおそらくですが、山崎先生の声、鶴田先生の声は区別がつきそうです。
山崎先生は、大変包容力行動力のある方で、「啐琢」に優れた瞬発力をもっていました。シルヴァンさん綴られた入門エピソードを読むだけでもわかります。いつもユーモアを忘れず大切にされていました。わたしが聞いたつぶやきは、最近シルヴァンさん橋本敏江さんに習いにいって熱心だけれどちょっと癪、というもの。

ところで番組でとりあげられた「さわり」。
それをタイトルにした本がありました。

2011年秋の「さわり」読書感想。

「哀史」じゃありませんでした。そんな言い方は、この本に登場する「人」たちには、失礼でした。鶴田先生がどちらかというと東京下町で生活していたり、水藤錦穣が下町の人だったり、身近が登場して自分の灯台下暗しを恥じました。「哀史」というよりも、もっともっと「強い」ものでした。山崎先生の移動距離もすごいなあと以前話を聞いて思いましたが、鶴田先生も同様。
ところでこの本の作者は大変幸運です。最高の題材を得たと思います。作家としては、通り一遍普通ですが、材料になっている先生たちが普通じゃありませんから救われた。選んだタイトルの割には、「さわり」の弱い文章ではないでしょうか。表紙の売り文句はヒドイ。「数奇な人生」だとは思うけれど、先生たちの人柄とか生き方が誤解されそうです。こんな女性週刊誌の客寄せ文句みたいなのはやめていただきたいです。どうせ編集に押し切られたのだろうけれど。
最後まで山崎先生がでてくると泣き、鶴田先生が代替わりした楽器職人の下に通う場面でも泣き、山崎先生とは違う鶴田先生の家族への接し方に泣き----参りました。山崎先生も鶴田先生も「一家を作った」人で、血縁に限らず「構築した一家」を大変大切にされた、そんなところが全く共通でした。すべてに対照的な両先生と思っていたのですが、だから仲良かったのですねえ。
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作者にこのタイトルを勧めたのは誰だろう。
書店で、すぐにみつけました。
山崎先生とドイツに行くエピソード。思わず笑いながら、涙がこぼれてきました。鶴田先生の本なのに山崎先生が、そのエピソードを語った姿を想い出してしまいました。鶴田先生が琵琶が弾けなくなったとき、ちゃんといいお医者を探して診てもらいなさい、といったんだけれど、と山崎先生とても心配しておられましたっけ。
なんて対照的なふたりのマエストラなんでしょう。
何も語らなかった鶴田先生と、ほとんど一代記をシャベリ倒してしまった山崎先生。
鶴田先生の演奏会も、ご一緒させていただきました。
人口がどれほど少なくても、よいではありませんか。おふたりのミームは着実に伝わっているようですし、多けりゃいいってもんじゃないでしょう。大切にする人の質と数が重要かな。おふたりとも、自分たちの分野が滅びかかっているのを知りながら、無理して拡大せず、縮小しても質の良い種を育てようとしていたと思います。
田中旭泉さんが琵吟を語っていると知って、山崎先生のアイデアもちゃんと後継されていることがわかりました。よかったですね先生。
山崎先生の質素な家にお邪魔したのがこの間のよう。先生の部屋は広くないのに楽器が何面も所狭しと並んでいて。仏様頼りなところもあったりして。惜しまず旅はしたけれど一生関西圏に住んで、いろいろと鶴田先生とは対照的ですね。声の高さも質も正反対でした。正反対なのに双子のような一致したところがあったのですね。「さわり」って聞いても驚かない、わたしのような人間が今でも生きてます。それは鶴田先生や山崎先生の一致した部分があったから、だと思います。
「さわり」の中盤は鶴田先生のライバルとして水藤錦穣の半生が紹介されています。久野久や原千恵子などと似た近代日本の女流哀史の系譜です。水藤錦穣、鶴田先生が1911年生まれ。原千恵子は1914年。安川加寿子が1922年。近代日本とは、まるまる20世紀の日本ということになりますか。しかし、邦楽の世界はいろいろな事情で名乗る名が変化しますから、読み手は厄介ですが、鶴田先生のように人生の一部を抹消することも比較的簡単にできる、それが日本の名前(さすがは「呪」です)のすごいところかも。横溝正史は「悪魔の手毬唄」でそれを使って巧みに日本式の一人二役トリックを作り、しかし世界の政治家を見てもチトーやチェのような人もいますし。創氏改名も日本的な呪としての名前の持つ、ある種の自由さからすると、うーん何と申してよいやら。結婚でファミリーネームが変わるのは実際日本くらいのものですし。
他国侵略は例外として、個人が証人保護プログラムみたいに名前を変えて、「ある自由」を得ることが、一般の人にもできた(費用が必要そうですが)----吉凶どちらか?
鶴田先生にとっては、吉だったんですよね。
この点でも山崎先生は名前が少なくて済んでる方かしら。
と、タイプしながらテレビを見ると朝の連ドラ「カーネーション」が。小篠母の一代記も波乱に富んでいます。20世紀はこうした語られるべき女性たちの歴史でもあるんですねえ。





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