コレクション2期-9 歌のあるコーヒー店の「みんなのうた」
掲題は、「歌声喫茶」のことではありません。たとえば先日NHK「新日本風土記」で歌声喫茶が取りあげられましたが、そうしたものとは全く違います。
岸政彦先生の「給水塔」の中にあるライブハウスのようなものでもありません。
ジャズに限らず、いまという時代は、自己表現をしたいひとはたくさんいるけど、ひとのそれを聞きたい、見たいというひとはほとんどいない。結局どうなっているかというと、関西のジャズの店で生き残っているところは、その多くがジャムセッションで金を稼ぐようになっている。つまり、客ではなく、演奏する側から金を取っているのである。
その店には、多くの人が見たいと望む「光」があります。宮崎県の椎葉村のような、即興の歌が残り、かつ古い神楽を保存もしている、最後まで焼き畑が残り、考えようによっては長崎県の生月島のように外来の古い祈りと歌が保存されている----。それは九州の隔絶した僻地の話なのですが、人々が太陽や月や星々のように光り、そう、「見るレッスン」でいう未知の価値観に驚き、その驚きが適切かどうか、自分に問い、映画という「光」を見ること。「モクとボク」は、椎葉村の歌であり、生月島の祈りであり、わたしには「未知の価値観に驚く」ことそのものです。