遠回りして、わざわざ訪ねること
「どうすればサービスが上手になるの」と質問されたことがあります。
[1]
サービスの勉強のために「サービス」を勉強しても「?」です。なぜって、「話題」が豊かにならない、からかしら。その人が知的で豊かな日常をおくっていれば、自然と話題が豊かになるのではないかしら。
マニュアルの基本作業は当然として、その先にあるものは、どうも「人柄のようなもの」しかありません。「思ったことを口に出してはいけない」というかもしれませんが、わたしは、どうぞ「思ったこと」どんどん言った方がよいのでは、と勧めます。「思ったこと」はその人の経験体験の結果です。その行動が知的で豊かであれば、ある程度何をしてもよいし、その結果「思ったこと」を言っても、まあ許される範囲なのではないでしょうか。サービスにもストライクゾーンがあるような気がします。
わたしは、サービスの勉強方法は?と問われると、よく「初台の新国立劇場にオペラを観にいっては」と勧めます。
(寺尾先生は店の「お花」に注目してましたっけ。どこに何がどっちを向いておいてあるか?その向きを変えるだけで、細やかなテーブルコーディネイトの気持ちがあるかないかわかる、と。先代校長は料理そのもの食材飲料そのもの、食器まで細心の注意を払ったが、後継者はちょっとした家具調度の位置や部屋の陰影に気を回す、これが後継したことなのだなあ、とおっしゃってました。さもありなん)
最も、勧めて実行してくれた人はいません。そりゃいろんな意味でお高そうだし、何ヤルかわかんないし、休日なのに堅苦しいカッコしていかなあかんし、第一つまんなそやし。それで意を決して観にいってみたら、不倫の愛人同士がそれぞれの配偶者を権力に物言わして追放し、モラルを求めて戒める相談役を殺して、めでたしめでたしハッピーエンド----って、ひどくない?実際調べてみれば、どの演目も演歌みたいな内容じゃないか----。
おそらく日本は、東京だけが「世界」とつながっています。
(「世界とつながっている」ところで「自分を客観視せざるを得ない場」で何かしら「遅れ」を認識することがモチベーション維持にならないかしら)
少なくともサービスという西洋のもの(日本にもあるという話は今は脇に置きます)を勉強するのに、一番近いところではないかしら。ですから東京へ出かける目的を作られては?という意味で「オペラ鑑賞」かしらと。
ヨーロッパのオペラ劇場同様の正式なレパートリ制度を持っているオペラ劇場は東京だけではなかったかしら。今やオケコンは地方都市のほうが地道に盛っている可能性があります。金沢、山形、錦糸町などで。オペラ劇場まで足を運んでオペラを観ようという、憧れと訴求力のある生活スタイルが要求される、と思うのです。クラシック音楽鑑賞が趣味です、でも費用がかかるのでそんなに大勢はいません。そんなわけで「月に一度くらいは東京に出てオペラを観ましょう」と。
前述のオペラ作品は「ポッペアの戴冠」といいます。手前味噌ですが、2度観たことがある同業者はまずいないだろう、なんて多少優越感があります。しかしながら、わたしたちがサービスする対象のお客様の中には、いたりするものなのです。「----ああ『ポッペア』ならチューリヒとモンペリエで観ましたよ」てな人が----上には上がいるものと思い知るのです。せめて東京で観られるときくらい学芸会でもいっとかんと。
[2]
サービス力向上のために何をしたらよいか?と問われ、質問者が横浜在住なので「では季節もいいし、鎌倉文学館でバラでもご覧なったら」と。そう答えながら、実は1回も運んだことがないので、意を決して「いざ鎌倉」。
御成通りを長谷に向かって歩け歩け、途中話題の鎌倉野菜の市を見学しながら。
興味深い風情を残す商店街を抜け、長谷寺の手前まで来ると、小高い丘というより、低い山の裾野の雑木林の中に、青い瓦屋根が見えました。
上がっていくと、正門でチケットを求め、さらに登り「招鶴洞」というトンネルが入り口です。鎌倉の切通しの風情がある、寺の山門のようでもあり、そのトンネルを抜けるとお屋敷があります。
和洋混交の洋館は東京の古河庭園風----よりいいかも、ソウルの青瓦台を思わせる青い屋根、海岸に向かって下る傾斜地の途中に建っていてテラスからは湘南の海が迫って見渡せます。
そこから江ノ電で七里ガ浜へ移動。古い知り合いの家にパンをお届けしました。懐かしかったけれど、そのままとんぼ返り。また今度連絡して伺ってみよう。
文学館までの道もすがすがしいし、時折路地の向こうに開けた海岸が垣間見えながら、面白そうな店もあり、家と家の間を通る江ノ電も稲村ガ崎から突然海岸通りにでて爽快でした。----と、これのどこがサービスの研修?
東京に住んで横浜、鎌倉を見ないのはもったいないと思いますし、お客様はその近辺からもたくさんいらっしゃいますし。
「遠回りをしてでも訪れる価値がある」「それを味わうために旅行する価値がある」という言葉の意味を知っているお客様を望むには、自分自身が遠回りしたり、わざわざ訪ねることをしないと、お客様の気持ちがわからないかしら?と。
街道沿いに、焼きたてどら焼き屋がありました。次回は食べてみたいもの。
鎌倉の地元の人たちからは、鎌倉は住んでいる人たちのものではなくなってしまった、という嘆きの声も聞かれるそうですが、地元が過疎化し観光客もこないところにとっては贅沢な悩みというものです。それよりも以前と比較して、大仏や観音様がなくても、よい意味で「観光地化」ができているところもでてきましたから、よい意味で、日本中が観光地化して、お互い交流しあうのがよいのかもしれません。
「お友達が、鰻好きで南千住の鰻屋さんにいって、お腹いっぱいになって、思い切って浅草まで歩きはじめたら、途中においしそうなコーヒー屋さんがあったので、早いけれど一休みしていこうと」
こんなこともあります。