50. わたし、次のわたしへ。
わたし、たぶんもう、ここに書き込まなくても大丈夫です。
だから「50」という、キリのいい数字で
「わたしシリーズ」の更新を、ストップしようかと思います。
煮え切らないわたしは、まだいるけれど。
それでも今、「演じる」ということを通して
本当に真っ直ぐに、自分と向き合い、表立って葛藤する場を得ているから
「書く」という行為で、心だけで吐き出す必要がなくなったのだと思います。
「書く」という行為は、わたしにとって
声にできない気持ちを吐き出す意味がありました。
誰にも言えないから、誰にも聞かせられないから
それでもせきとめられた想いの行き場がなくて、だからせめて
文字で書くという形で吐き出していたのです。
それにとても救われてきました。
ここは、わたしにとってほとんど
気持ちのゴミ箱でした。
いつからかわたしは、わたしの気持ちのゴミ処理のために
「表現」をしていました。
特にここは、わたしが、わたしのために作ったゴミ処理場でした。
でもね、今のわたしには、もういいや。
ねぇ、わたし?
どうせするなら、誰かを幸せにできる表現がいいんでしょ?
それに気づいたんでしょ?
それなら、同じ吐き出すものでも、それは「ゴミ」じゃない。
ちゃんと誰かを幸せにできる「表現」としてプレゼントしてあげなくちゃ。
たとえそれが、同じ、ドロドロとした醜い感情であったとしても。
わたし、前より、きっと、
わたしに寛容になれたのだと思います。
わたしを好きになれたのだと思います。
だから、ここは卒業。
次はもっと、自分のためじゃない、見てくれる、触れてくれる誰かのために
自分を晒して、
「表現」することにちゃんと向き合った、向き合おうとしてるわたしに
どうか、会いに来て。
わたしのゴミ箱に付き合ってくださった皆様に、心からの感謝を。
あなたがそこに意味を見出してくれたから
あなたが拾ってくれたから
それはかろうじて、ゴミじゃない何か別のものになれたのです。
あなたのことが大好きです。
2017.06.11
夏川みわこ
@natsuiro_mikan
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