約束
長い、長い旅をしていた。
そのうちに大事だったことの記憶が曖昧になっていった。
大事だという感情だけを残して、それが具体的になんだったのか
その内容が、何か底知れない大きな力にぼやかされていった、のだと思う。
それでも、胸に棘のようにささったままの感情があった。
その感情の糸をたぐり目を閉じると、必ず浮かぶイメージがある。
彼女はそこに座っていた。
ただ、座っていた。
夏の日差しの中、白い傘をさした彼女は
夏にはあまりにも似つかない白い肌をしていて
今に透きとおっていってしまうのではないかと、思った。
まるで、カゲロウの羽みたいだ。
儚くて、美しくて、悲しげだ。
彼女の後すがたに問いかける。
「何をしてるの?」
「川を見ているの」
「どうして?」
彼女はそれ以上応えない。振り返ることもない。
まぶしいほどの白さが、彼女の一切を覆うように隠していた。
おそらく僕は彼女を
愛して
いた
のに・・・
彼女は今もいるのだろうか。あそこに座って、川を眺めて。
僕は彼女を泣かせてしまったのだろうか。
花嫁衣裳のような白い服を着た彼女を・・・
笑ってくれているといい。
幸せでいてくれたらいい。
「―――― なぁにも、心配することはありませんよ」
口元ににやりと笑みを浮かべて、おばあちゃんは呟いた。
「何?何か言った?」
おばあちゃんは毎年この時期に、
白の日傘をさして、白のブラウスとスカートを身に付け川辺を歩く。
元々色白のうえ、美しい白髪をうしろできゅっとまとめている。
年のわりに肌艶が良く、背筋をぴんと伸ばして歩くその姿は、
さながら、モネの「日傘をさす女」のようだ。
わたしの自慢の祖母である。
「いいえ。あなたのおじいさまとお話していたのよ」
「おじいちゃん?」
「えぇ。私たち昔、夏にお式をあげましょうって、約束していたのよ。
でもあの人、いつの夏かおっしゃらなかったから・・・」
川のせせらぎに、蝉の声がまじる。
どこからか風鈴の音も響いて耳に届いた。
その音に心なしか切なげに目を細めるおばあちゃんは、
ちょっとだけ、わたしの知っているおばあちゃんとは別の人のように見える。
「そうだ。途中のお店でラムネを買ってあげましょう。
そしてお家に着いたなら、一緒に迎え火をたきましょうね」
けれど、すぐにいつものおばあちゃんの顔に戻って
すっとわたしに優しい手を差し出した。
わたしは嬉しくて、その手をぎゅっとにぎって歩いた。
──迎え火より早く会えるのではないかしらと
私は川辺であなたを待つの。
* * *
お題写真提供:れんぷく (https://note.mu/kokolan)