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本は留学生活の支えだった
電車に揺られながら本を読んでいる人が好きだ。
東京生まれの私は高校生になってから電車という交通手段を本格的に使い始めたのだが、当時の私は本を読む習慣はなく、通学時間のすべてを英語長文や英単語の暗記に費やしていた。
小学生の頃は本の世界に没入していた。
しかし、年を重ねるにつれて、”小説を読むことがいかに目に見える偏差値や評定といった結果に結びつかないか”、に気づき始めてからは、必然的に本を読むことをしなくなった。
大学生になり、ようやく長期留学を目的としていた英語資格の取得が終わった今、「勉強!結果!数字!」といった強迫観念に近いものは消え、絵に描いたような燃え尽き症候群にかかってしまった。
勉強から解放された帰国後はもうずっと、移動時間の大半を読書に費やすことができている。今は本を読むこと時間が私の人生を作り上げている、と言っても過言ではない。今回は私がなぜ読書に目覚めたのか、を自分の留学中に得た気づきをもとに綴ろうと思う。
日本の本屋さんから垣間見える現代人の忙しさ
日本の大型書店を思い浮かべてほしい。例えば、東京駅の丸の内側にある丸善を挙げよう。
まず、入り口には自己啓発本がある。
言葉の伝え方、就活対策本、資格関係の本やビジネス、投資のハウツー。そこには東京駅付近で勤務しているであろうサラリーマン達がそういった「仕事ですぐに役立つスキル」「取引先との雑談に使える」ような即戦力のある本を立ち読みしている。二階や三階には大きなスペースを占領する新書コーナーや受験対策の本コーナーがある。都内でも有数の大型書店なだけあり物語やエッセイの種類も数も豊富だが、一階には話題の本以外置かれていない。
こういった本屋が日本の書店の多くを占めるのには、現代の日本人は物語を楽しむ暇がないことが顕著に表れている。
「書店には行くけど、必要な参考書以外は買わない。」
「小説読んだって、別に現実世界で役立つわけでもないじゃん」
かつての高校生時代の私もそうだった。本屋さんは必要な知識を得るための本や資格取得本を選ぶ場所であって、物語の世界などに没入している暇はなかった。
ヨーロッパの本屋さん
しかし、ヨーロッパに留学中に訪れた多くの書店で、自己啓発やスキル習得関連の本がいかに過小評価されているかに気づいた。
とにかく、本屋に足を踏み入れるやいなや、物語の本で溢れているのだ。
どこの本屋もだ。日本でベストセラーになった「コーヒーが冷めないうちに」は、ある日には尋常ではない冊数が棚に積み上げていたのにも関わらず、学校帰りに寄る度に、積み上げられた本の高さが小さくなっていくのを見て日本の物語が世界で評価されていることを肌で実感した。
言わずもがな就活という日本特有の社会の仕組みが作り上げたシステムに通ずるような対策本のコーナーなど無い。受験の参考書のコーナーも無論ない。
自己啓発本はある。しかし、どこの本屋でも多くの人がいるのは、一番多くのスペースを占めている物語本のコーナーだ。村上春樹の本は背の高い本棚の半分以上を占めていたし、日本をテーマにした特設の本棚には日本料理や文化の本が所狭しと陳列されていた。
そして、芥川龍之介、森鴎外、川端康成などの文学作家が、本屋の入り口近くにあるのだ。
日本では考えられないような光景だった。
日常に馴染む読書
ヨーロッパに留学中、近隣の国や近くの都市に訪れることが多くあったのだが、電車内で多くの人が本を読んでいたのが印象的だった。kindleで本を読んでいる人も多く、とにかく彼らの読書姿が美しかったのを覚えている。東京に住んでいて、電車で読書をしている人に会うことはあっても1車両に数人いたら多いほうだ。kindleで本を読む人なんて、人生で1人くらいしか出会ったことがない。
また、飛行機に乗って旅行に行くこともあったのだが、私が座った座席の隣3人(おそらく家族)が全員、離陸前から本の世界にのめり込んでいた。
勿論スマホをいじっている人もいないわけではないが、「本を読むこと」が日常を織りなす要素として受け入れられている、そんな雰囲気を感じた。
ルームメイトの生き方
私はルームメイトの生き方が大好きだ。ずっと尊敬している。
彼女は、留学中結構な頻度でクラブに通い、煙草をふかし、課題もほどほどにいつもベッドに寝転がりスマホでネットサーフィンをしたりネトフリで進撃の巨人やヒロアカを観漁っていた。洋服やコスメを衝動買いしたかと思えば、画材を買って急に自画像を描き始めたりと、日本式の生き方にはまっていた私の目には彼女の''欲望に従う生き方''がとても刺激的で、魅力的に映った。そして彼女はまた、本を読むことが大好きだった。クラブに行きTikTokにダンスを投稿し、煙草を吸うのも彼女であり、本を読み、ジャーナルを書き、絵を描くのが好きなのも彼女だった。沼だった。
留学初期、洋書なんて読んだこともない私は彼女の影響で一冊の自己啓発本を買ってみた。それが、どうもこうも読む気にならず、読書が楽しくなかったのだ。彼女にその悩みを打ち明けると、
「自己啓発本はページをめくる手が止まらないようなワクワク感がないから読まない。自己啓発に載っている人生訓とかは、自分で経験して得ていくものでしょ、必要だったらYouTubeにも沢山あるし」
いつもはクラブやパーティーでノリノリで酒を飲みながら踊る彼女から放たれたとは信じがたい、芯のある意見。このギャップが好きだった。
そして私は読む手が全く進まなかった自己啓発本を諦め、小説を読むことにした。英語学習者界隈で「洋書1冊目に物語本を選ぶのは理解できずにモチベーションが下がるからやめた方がいい」とよく言われているが、鵜呑みにせずトライしてみると良い。
私は驚くほどに、ページをめくる手が止まらなかった。知らない単語があれば、「物語を理解したい!」その一心で英英辞書を使い、意味を調べながら物語を理解していく。とにかく、自分の英語力が飛躍的に向上していくのを日々実感した。また、ヨーロッパはなんせ天気が悪く、冬場は日光が全くでない日も多々あったので、クラブもパーティーも興味がなく、課題以外特にやることがなかった留学生活において読書は最後の砦だった。
日本に帰ってきてから、やはり読書は私の生活の一部になっていた。習慣の力って中々、抜けないもんである。
未だにルームメイトとは洋書版のブクログであるGoodreadsというアプリでお互いが読んでいる本に逐一リアクションをしている。洋書を読むことが私たちを繋ぐ手段の一つにもなる。
日本にいると和書へのアクセスがあるから常に洋書と併せて2冊以上何かを読んでいるし、旅先には絶対本を持っていく。kindleにあらかじめ読みたい本をダウンロードしていくこともある。
もし電車に本を読んでいる人がいなくても私は本を開く。
地球の反対側で本を読んでいるルームメイトがいるから、自分は一人じゃないって、思えるから。
P.S.
ちなみに彼女が夢中になって読んでいた「海辺のカフカ」を最近読み始めた。洋書版は二篇に分かれていないため、本の厚みが6センチほどある...重い!
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