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努力してる自分にしか価値が無いと思ってしまった大学生
はじめに
こんにちは、ご覧くださり有難うございます!
先日はじめてnoteに文章を書き、投稿してみました、らっこと申します:D
今回のnoteでは、もう少し踏み入った自己紹介をしながら、自分がパニック障害になってしまった経緯や、今は何をしているのかなどを書いていこうと思います。
私は今年の4月末にヨーロッパでの長期留学を終えて帰国してすぐにパニック障害と診断を受け、現在(2024年12月)休学と療養をしています。
今回noteを書こうと思ったきっかけは、サカナクションのボーカル、山口一郎さんの「言葉が一番宇宙に近いぞ」という言葉に触発されたからです。
この言葉は山口一郎さんと視聴者との悩み相談の生放送の中で、一郎さんが視聴者である20歳の男性(大学を中退したのち熟女パブで働くという異色の経歴の持ち主)に掛けた言葉です。
一郎さん自身も2年間、うつ病の療養をされていたり、ミュージシャンとして花開くまでに下積みも長く多くの苦労を経験されている方なので、将来に悩める同年代の男性に掛ける一郎さんの言葉は厚み、深みがありました。
その生放送を聴いて、
「言葉」でも、「絵」でも「音楽」でも、何にもとらわれずに自分を表現したら、誰かの役に立つことがあるのかな、
そんな風に考えたときに、noteで発信して自分と同じような状況にいる人に自分の考えが届いて、「自分は一人じゃないんだな」って思ってもらえるような文章を投稿したいって思えるようになりました。
パニック障害が一番ひどかった今年の9月頃に、東京駅のほとんど人がいないガランとした丸善で平日の昼間からパニック障害の治し方の本を探しに行きました。当時は毎日抗うつ薬や緊張、不安を和らげる薬を飲みながらも症状の改善が見られず、自己嫌悪に苛まれる毎日でした。
なんで私はこんなに弱いのか、と弱い自分をいい意味で諦めることができず、パニック障害だと友達に打ち明けることができませんでした。
その結果、多くの大学の友人と疎遠になりました。
そんな孤独な毎日の中で、自分を支えてくれたのが小説、そしてパニック障害を患って2年間休学したのち、復学した友達と行っていたLINEのノート機能での日常共有でした。
週に1回程度、日々の出来事や読んだ本、観た映画、行った場所、考えていることなどをこのnoteみたいに写真と文章で振り返りながら共有していく中で、友人の書く等身大の文章が自分のメンタルの安定に役立っていることに気づきました。
なので、このnoteでも自分の等身大の悩みや考え、不安を共有することで、友達と話しているかのように感じてくれる人がいて、寂しい気持ちが和らいでくれたらいいなぁ、と思いながら書いています。
らっこってどんな人?
私の幼少期
改めまして、らっこと申します、宜しくお願いします!
前回は軽く私の自己紹介をしましたが、今回はもっと深堀りして自分のことを書いてみようと思います。
現在は都内にある私立大学の文系の三年生です。2024年の4月末に2学期間の長期留学から帰国後~今に至るまで休学をしています。(形式的には9月からの休学です)
軽く小学生を振りかえると、
都内の地元にある小学校に通う、ごく普通の子どもでした。
本を読む、勉強することが楽しかったのは小学校低学年の時までで、そこから勉強した記憶はないくらい毎日3DSやWii、YouTubeなどの享楽的な娯楽に熱中していました。シール交換をしたり、公園に行ってブランコの技を極めたり、と絵にかいたような小学生を送っていました。
習い事はそろばんやピアノ、水泳、塾など一通りかじってみましたが、どれも全く長続きしないうえに「飽きたものは絶対に続けたくない」という頑固すぎる性格だったため、基本的には習い事はせず毎日公園で遊んでいました。
中でも一番熱中していたのがYouTuberごっこです。笑
今でこそYouTuberという存在は認知されていますが、らっこが小学2年生だった2012年には、あのヒカキンさんやPDS株式会社さんですらパイオニアのような存在でした。
サイトに投稿はしていませんでしたが、彼らの企画力やYouTuber魂に触発され、毎日のように友達と商品紹介の動画やチャレンジ系の動画を撮影していました。間違いなくYouTuberという存在は私の青春時代になくてはならないものでした。
ここまで読んでいただいてわかる通り、私は教育に熱心な両親に育てられたわけではなく、毎日いかに楽しい遊びを見つけるかに精を出していたごく普通の小学生でした。
中学生で芽生え始めた努力信仰、メリトクラシーの実感
中学は地元で一番厳しいと言われている中学校に進学しました。
そこで私の中の努力信仰が出来上がったといっても過言じゃないのかな、と今になって思います。
小学生の生活からわかるように、まったく勉強が得意、好きなタイプではなかったため、中学に入るやいなや成績は中の中くらいでした。そこで周りの友達に流されるように地元の進学塾に入りました。
結果を出したら私への評価が良くなるの?
そこの塾では、学内のテストでいい成績を取った同級生が塾長から目に見える形(お菓子やおにぎり)でご褒美をもらえるようなことがよくありました。でも入塾した中学1年生の時の自分は「もらえない側」、つまり成績が良くない側だったんです。
そこで「努力して結果を出したら誰かに認めてもらえる」、と思い必死に、そして計画的に勉強していたら、中学3年生から一気に成績が伸び始めたんです。
その影響で塾長の私に対する態度は激変し、私は「ご褒美をもらえる側」の生徒になれたことを強く実感しました。
加えて、当時密かにやっていた勉強垢のフォロワーさんも10,000人を超えて、自分の努力している様子や数値化された結果を誰かに評価してもらうことに対して快感を得るようになりました。
そして進学した高校では奨学金を得るために猛勉強して3年間学年1位をキープしており、先生からも一目置かれた存在で見られていました。
中高と思い返してみて、私は中学生、高校生のときに「努力している自分にしか価値がない、周りは認めてくれない」と思うようになってしまったのだと思います。
しかし、高校はコロナ禍によるオンライン授業や分散登校でほとんど楽しむことができなかったため、大学では授業内の交流や仲間との切磋琢磨を通じて自分を高めていけるような環境が欲しい、と思うようになりました。
初めて自分を厳しい環境に置いてみたら・・・
2022年、晴れて第一志望の大学に進学したのですが、そこでの英語のプレイスメントテストで一番上のクラスに振り分けられてしまいました。そこでの経験が自分の追い込みぐせや努力信仰がより強まっていった大きな理由だと思います。
そこでは、
勉強することは当たり前で学生のほとんどがサークルや部活動に入っていない。
成績はA以上を取るのは当たり前。
クラスの殆どが海外経験があり、帰国子女、ハーフ、二重国籍などで構成されている。
全員が二年次秋からの交換留学を目指し、英語試験のスコアアップや日々の膨大な課題に追われている。
英語でプレゼンやディスカッションをするため、英語力がないと発言ができない
といったような、自分が思い描いていたようなキラキラ大学生とは程遠い、勉強漬けの生活が始まってしまったんです。
自分で望んではいたものの、初めて英語ですべての授業が行われるわけですから、学校英語で6年間育ってきた井の中の蛙だった私は授業で話される英語を全く聞き取れませんでした。そして他の学生たちの英語力や主体性、発言力に打ちのめされました。
高校生の時は英語の偏差値も常に65以上は維持しており、英検準一級なども取得していたのですが、スピーキング力に関してはノータッチだったので、もう何も話せず、辛かったのを覚えています。
しかし、大学での学びは前述した通り、生徒間の交流や課題の可塑性(認知プロセスの外化)、グローバルな環境はこれまでの学生生活では享受できなかったものなので、当時は「負けてたまるか!」といった思いで毎日勉強していました。
その結果、大学1年生の秋ごろにGPAは上がり始め、2年次の留学前の最後の学期にはMAXから0.1ポイント差まで持っていくことができました。このGPAも自分の中の努力信仰に繋がっていったんだと思います。
「やればやった分だけ、英語ができるようになる。やればやった分だけ、教授に評価される!じゃあもう、やるしかないじゃん!」
この感覚が楽しくて仕方なかった当時の私は、そこからバイトを週に一回、2,3時間程度にし、後の時間をすべて勉強に注ぎます。
当時の私は留学を控えていたため、「留学するときの自分を少しでも楽にさせてあげたい」との一心で外資系企業のインターン、大学の勉強、英語力の向上、友達付き合いなどのすべてを両立しようとしました。
でも、やっぱり頑張りすぎると、何度も自分の限界を超えすぎると、人って壊れてしまうんです。
私が精神科でパニック障害と診断を受けたのは今年(2024年)の6月ですが、大学1年生の後期に本格的に勉学に腰を据え始めてから「生産性のない自分には価値がない」「物事は習慣化することではじめて結果に結びつく」といった強迫観念はずっとあったのだと思います。
他にも
将来の自分を楽にさせてあげるために常に今を犠牲にするべき
自分の置かれた環境や社会的地位を言い訳にせず、努力すればなんでもできる
周りから賞賛されるような数字や結果を求めていれば、「何者か」になれる
といった信念が自分の中で無意識にできあがっており、それに基づいた行動を取るように心がけていたのかな、とも思います。
そして、ちゃらんぽらんに生きても何も言われなかった小学校とは異なり、能力のある者が評価される中学校の定期テスト、塾という枠組みを経験したことで、常に周りからの評価を気にして行動する人間になってしまったことも大学生の今の自分に影響しています。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
次回以降も読んでくださるとうれしいです。
では、良い休日を~!