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コミュニケーションの欠如って何だ
今月は「品質月間」である。品質に関する意識を高揚させましょう、という取り組みだ。具体的にどんなことをやるかに関しては、以下のHPに詳しく掲載されている。標語を作ったり、小集団による活動が推奨されていたりと、細々と色々やってるという感じだ。
品質に関する問題が起こった時に、その原因を「コミュニケーションの欠如」と総括されることがある。何も、品質についてだけでなく、人間がやっているありとあらゆる活動で起こる諍いの原因は"コミュニケーション"である。だから、"コミュニケーションの欠如"といっておけば、さぞ問題点を洗い出したかのように思われるが、具体的にコミュニケーションの「何が」欠如していたのかが、よくわからない。
コミュニケーションとは何か。そう問われて思い浮かべることは色々とあるだろうが、想像が付きやすいのは人と人とが話している情景だろう。では、コミュニケーションを増やす→話す回数・時間を増やす、ということでいいのだろうか。いや、それも違う。雑談ばかりしていては仕事が進まない。仕事を放り投げて雑談ばかりに励むことがコミュニケーションを増やすことではない。
大切なのは「必要な時に」「必要な情報を」「話せる」ということになる。「必要な時とはどんな時か?」「必要なこととは何か?」これらの問いに対しては、各々の組織や集団で意図するものは少しずつ異なってくるかもしれない。これらの"必要"が所属する集団の個人間で異なることが問題なのだろうと思う。Aさんはこれについては必要じゃない情報と思ったけど、Bさんにとってはすごく必要な情報だった。こういったギャップを無くすこと、これがコミュニケーションの欠如を改善するために求められていることなのだろう。
と、ここまで来ると、最後の「話せる」というのは、また厄介なことだと思える。これは必要なんだけれども、話せる環境にない……。こういった場面でもコミュニケーションの欠如が発生するだろう。これを是正するには、普段から話しやすい雰囲気を作ることがベストだが、たぶんこれができれば誰も苦労しない。「話せる」空気を醸成することが最も難しいといえるかもしれない。
出来ないのであれば、どういったケースで話をするべき(コミュニケーションを取るべき)か細かく決める必要がある。そこまでしないといけないというのは何だか悲しい気もするが、組織で仕事をする上では、ガイドラインが細かく設定されているほうがかえってやりやすいともいえる。そうなってくると、職場雰囲気云々に関わらず、必要なコミュニケーションは取れている状態になっているだろう。
ここまで書いていると、日本国内でそこまでやっている会社はあまりなさそうだなと思えてくる。おそらく、今までは各人の気遣いなどで何となくできてきたし、それを前提にしている感もある。しかし、これからの時代はコミュニケーションに関するガイドラインを決めたほうがいいかもな、とも思う。世代間はもとより、多様性が重視されるならば、逆に決めごとを作ったほうがフェアな気がする。
品質月間を取っ掛かりにして、コミュニケーションという、わかったようなわからないような言葉について述べた。コミュニケーションという言葉だけを捉えることなく、何をすべきかまで落とし込んで考えてみたほうがいいと思う。
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