ソックス事変
冷え性の冬。
重ね履きのために買った税込み三百円のソックスは、左右それぞれの足にフィットするような作りになっているらしい。わかりやすいようにエルとアールが刺繍されている。
安物の消耗品だから見た目はぜんぜんこだわっていないけど、こだわったほうがいいかもしれない問題としては、わたしの足はエルとアールを逆にしたほうがしっくりくるということ。わたしの右足は右足らしくないし、わたしの左足は左足らしくない。あべこべの足。神さまに造形を間違えられた。
三が日が終わって始業式も間近なのに、わたしという奴は正月気分どころかクリスマス気分も抜けず、なんならこのままハロウィンに突入してもいいくらいの気持ちでコタツに没入していた。
コタツ。それは神の与えし祝福。そして大罪。
猫とみかんはないけれど、昨日スーパーで買ってきたイチゴはある。みかんにすればよかった。お菓子コーナーに行ったら節分やバレンタインのピックアップが始まっていて、何をそんなに生き急いでるのかわからない。お惣菜コーナーにいたっては「春の味覚」なんてラベルが貼られていて、先取りしましたよ感が半端ない。でも外は雪降ってますけど。
イチゴをつまみながら寝そべっていると、表面の小さいつぶつぶがだんだん気になってきて手が止まる。
よく見たらこのつぶつぶはわりと気持ち悪いのに、なぜ女子はイチゴを好きになるのか。
ベリー系ならもっと美味しいのあるはずなのに。そりゃ美味しいブランドイチゴもたくさんあるけど、イチゴが好きになるきっかけの初イチゴはそんなに高級品ではないはずだし、たぶん幼い頃に接したありふれてるフルーツの中での一位がずっと君臨し続けてるだけで、すりこみ的なあれで、それでもって需要があると知った人たちが、イチゴをモチーフにしたグッズやらキャラやら服飾やら作りまくるもんだから、多数派にすがりたい人でも安心してイチゴ好きになれるって寸法よ。そうなの? 知りません。
イチゴグッズ集めまくってる人が前にテレビに出てたけど、やっぱりあのつぶつぶのクローズアップは好きになれないなー。じっくり見なきゃ平気だけど。一度じっくり見ることに気づいちゃうとだめだな。視力いいからなわたしは。
じわじわと暑苦しくなってきた下半身を冷ますため、コタツの天板を背にして、反対側にあるタンスに両足をあずけた。親が出かけているからこそできる、はしたなき所業。そのまま足の指先でリズムだって取れてしまう。
すすす、とソックス越しのつま先でタンスの表面をこすっていると、わたしは大変なことに気が付いた。
これは、なにかに似ている。
この、摩擦音。
鉛筆でなにか書いているときの音に、すごい似てる。
すごい似てるけど、これはたぶんここでしか再現できないから、共感できる人が存在しない。
わざわざこの音を聞かせるためだけに人を呼ぶなんてありえないし、聞かせたあとはきっと極上の気まずさが待っている。気まずさ選手権の上位入賞目指せる。
でもすごいなーこれ。
すごい鉛筆の音に似てる。
いや鉛筆の音じゃなくて、鉛筆でなにか書いてる音に似てる。
しかもけっこう速筆だ。
仮名や漢字を書いてるというよりは、筆記体を書いているときのような滑らかさを感じる。
なにかこう、サインだ。
契約書かなにかにサインをしているときのような、すらすらさらさら感。
なんでこんな音がするんだろう。親指の動かしかた? 足元が微妙にこもって聞こえるというのもあるかもしれない。爪の伸び具合がちょうどいいのかも。
ためしに素足でタンスをこすってみたら、ぜんぜん違う音になった。
だめだ。ソックスが必要だ。おれにはおまえが必要だ。ちょっとした告白だ。
タンス、ソックス、わたしの足。
この三種の神器がそろって初めて、鳴り響く音。
鳴り響かせる必要性は、特にない音。
録音しようかな。録音しておいて聞き返す機会があるのかっていうと、そんな人生は悲しすぎるような気もするけど、でもこのライブ感は貴重じゃないでしょうか。
明日には興味を失っているであろう、この音。
鉛筆でなにか書いているときの音。
だれにも共感されない音。
アイフォンどこにおいたっけ。
あ、メール着てる。お昼か。お昼ご飯どうしようかな。タイヤキ食べたいな。レンタル返しにいかないとだし、ついでに買いに行こう。
家を出るときにふと、そっくりなソックス、という言葉を思いついたけど、忘れたほうがいいと思い直して、わたしは寒空の下へ旅立つ。
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