多重人格風(短編小説/3164字)

 平原ミエコは同学年のクラスメイトで、わたしの幼馴染みで、中学だけ違うところに行っていたけれど、高校になってからはまた一緒の学校に通っている。

 三年ぶりに再会したとき、おとなしそうな風貌が少しも変わっていなくて不思議と安心した。

 だけど中身は著しい変貌を遂げていた。

 彼女は、解離性同一性障害になってしまった、らしい。

 正しく言うと、ミエコは、多重人格をよそおっている。

 推察でもなんでもなく、本人がそう認めているのだ。

「私、多重人格風だから」と。

 あくまで風、であり、本当に多重人格なのではない。ただ振る舞いとして、人格を変えているように見せている。それを相手にも伝える。

「伝えなかったら風、なんて言われないし、病気扱いされるでしょ」

 伝えても扱われてそうだけど、とわたしは声には出さず思う。

 ミエコが演じている人格は七つ。

 一人目は十六歳の女の子。ベースになっているミエコの主人格だ。明るくハイテンション。最近のトレンドは着色料と保存料。(入っているものしか食べない)

 二人目は老紳士。なんだよ老紳士って感じだけど、主に紅茶を入れるときに現れる人格だそうだ。出番少な。

 三人目は猫。あ、早くも人間じゃないんだ。と言われたいがために取りいれたみたいな人格。人格? 構ってもらいたがりの人なつっこい性格。

 四人目は占い師。二十九歳くらいの女性。ややネガティブで、予言ぽいことをつぶやいているときはだいたいこの人。当たらなかったらしばらく落ち込んで出てこない。

 五人目はスピーカー。生物ですらなくなっちゃった。どこかの局の電波を受信して、ラジオ放送とか音楽とかを再現します。(口で) 人が多いところで出てくると、とても迷惑。

 六人目は夢。もう考えるの飽きてきてる感がうかがえる。寝ているときはだいたいこれだそうだ。わたしもそうだよ。

 七人目は来世のミエコ。多重人格の時点でややこしいのに、来世とかさらにややこしいのを躊躇なく混ぜてしまうのがミエコのすごいところ。めったに現れず、現世が苦手(すごいワードだけど意味不明)とかで、わたしも数回しか会ったことがない。

 とりあえず初対面の人にはこれらの説明が入った名刺を手渡すのが習慣になっていて、大抵の人は面食らってその後の交友に大きく亀裂が入ったり、差し支えができたり、断絶したりする。

 手の込んだ遊びだけど、ミエコは飽きずにこれを入学当初から続けている。まわりの人間は、まわりにまだいてくれている貴重な人間たちはとっくに修正を諦めていて、こういう人もいるんだと世間の広さを思い知った感じで一回り成長している。わたしもその一人だ。

 そこそこに騒がしいファミレスで、わたしとミエコはデザートとドリンクバーだけ注文する。

 人が多すぎても会話しづらいし、いなさすぎても困るので、自然と行き先は固定されがちだ。

「ミエコはさ、なんでそれ始めたの?」
「にゃ?」
「猫は今やめて」
「今週はスペシャルウィークということで、なんと、リスナーのみなさんにビックプレゼントがありまーす!」
「スピーカーもやめて」
「なんでございましょう」
「老紳士でいいやもう……なんで多重人格始めたの?」
「それは難しい問いでございますね」

 老紳士なミエコは目を細めて穏やかに微笑む。過去には演劇部に誘われたりもしたようだけど、人格に難がありすぎて破談になったことを以前、人づてに聞いている。

「あれは、そう、ミエコさんのお母様がまだご存命の頃です。
 病床に伏しておられたお母様のために、ミエコさんは花束を毎日病室へ届けておられました。
 ミエコさんのお母様は、夫の暴力に耐え、浮気も許し、低所得の非正規雇用に甘んじながらも家事と労働を両立し、ほとんど娯楽のない人生を送るという聖人のようなお方でした。
 末期の癌だと診断されても取り乱すことなく、娘のこれからのことを心配するばかりで自分のことなど少しも省みない、そんなお母様だったのです」

 ラジオドラマでも聴いている気分で、わたしはミエコの赤いエナメルバッグを見つめる。

 人格分の持ち物が入っているから、いつも何かがはみ出るくらいぱんぱんに膨らんでいる。今日はみ出ているのは、私のよく知らないラノベの文庫本と、謎の文字が描かれた御札(たぶんお手製)と、トンボのおもちゃがついた猫じゃらし(何度かこれで遊ばされた)と、スティックタイプのサフランナバット(サフラン入りの砂糖。チャイに合うらしい)だ。

「ミエコさんは思いました。母の大切な時間を、私のためだけに消費させてしまっていいのだろうか。母自身が楽しめる、人生の潤いがどこかにあるんじゃないだろうか。母がそれを探し出せないなら、私がそれを探してあげるべきなんじゃないだろうか」

 展開がどんどんドラマチックになっていくのに対し、ミエコの表情は動かない。老紳士の動じなさアピール。見えないヒゲがそこにあるかのよう。

「そんな決意も空しく、お母様の様態は悪化していきます。何かしたいことはないかと聞いても、首を振るばかりで答えてくれません。ミエコさんの手を握るお母様は、私は幸せだったと言い残します。ミエコさんはそれを信じました」

 ですが――と、ミエコは目を伏せる。

「看護士とのやり取りを、ミエコさんは聞いてしまったのです。お母様は普段、ミエコさんには決して出さない声色で、泣きわめいていました。『こんなはずじゃなかった。私の人生は、こんなはずじゃなかった』」

 うへー、とわたしは心の中で口を半開きにする。現実には、眉毛を指でかく。

 粘性の高いストーリーは苦手なのだ。

「呪詛のような後悔のうめきを聞いて、ミエコさんは、こう思ったのです。真実は、測定された瞬間に決まるんだと」

 測定、という言い方に、なんだか理系的な匂いを感じる。

 冷静だなーとか思いながら、続きを待つ。

 だけどミエコはもう次の言葉を発さずにわたしを見ている。どや顔で。

「え、おわり?」
「わたくしからは以上です。――つまりね」

 ぴっと人差し指を立てながら、主人格になったっぽいミエコは言う。

「ずっと不幸せと思いながら笑って生涯を過ごした人は誰の目から見ても幸福に映るし、そういう扱いとして後世にも残る。でも、本人がどう思っていたかはわからない。それは、伝わってないから。不幸せな気持ちは、本人の胸の中でだけ泳いで息絶える。なぜって、伝えなかったから。
 あたりまえのことで、伝えなければ伝わらない。伝えても、伝わるとは限らなくても、伝えなければ、伝わらない。私は母から、それを学んだの」
「伝えてほしかった?」
「うん。だから私は多重人格風をちゃんと伝えるし、これがパフォーマンスだってことも言うし、あなたが大好きだってもこともちゃんと言うよ」
「あ、えっと、ありがとう」

 まさかそういう繋がり方をするとは思っていなかったので、たじろぐ。

 ミエコの話はどこまで本当かわからない。

 だけど今回に関しては、本心に近い部分を話してくれたような気もする。

 でもパフォーマンスって、どこからどこまで?

「よそおってるだけで、そのよそおいが本物として成り立っちゃってるものって、世の中にはたくさんあると思ったの。だから私は、ちゃんと偽物は偽物だよってあらかじめ伝えて生きることにしたんだ」
「心意気はわかったけど、それで、なんで多重人格?」
「風」
「風」
「んー。楽しいから?」

 ミエコは笑顔で回答してくれた。あの娘はやめときなって、と、四人くらいにいわれた記憶がぶわっと現れて、霧消する。

 ちなみにミエコのお母さんとは、わたしは昨日スーパーで遭遇している。とても元気そうだった。

 だからぜんぶ本当、とは思ってないけど、ぜんぶ嘘、でもなさそうなのがややこしい感じだ。

 人間ってそういうものかもしれないけど。

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