ノートに魔法陣を落書きしてたらなんか召喚できた話
ノートへの落書きというのは誰でもやったことがあると思うし、落書きをしないノートというのはノートとしての役割を果たしていないとさえいえるんじゃないか、とマサコは主張するのだけど、それはさておいて落書き遊びに熱中する私たち二人は、学内では飽き足らずに自宅でも落書きを続け、今はオリジナルの魔法陣を描くのがブームなのだった。
マサコの魔法陣は緻密で正確で、でもなにを表しているのかはまったくわからない異国の言語みたいな様相を呈しているから、全体的にルーズで感性頼りな私の魔法陣に比べると、クオリティがぜんぜん違って見える。
見えるだけでどっちも落書きは落書きだから、何事も起きはしないしそれを期待しているわけでもなかったのだけど、ある土曜日の午後、マサコの描いた魔法陣がきらきらと3D映画みたいに輝きだしたかと思うと、小鳥の羽のような残影がびたーんと天井にぶつかって、張りついたまま落ちてこない。
私もマサコも凍りついたように動けない。魔法陣のきらめきはもうおさまっていて、ただの黒鉛で描かれた落書きに戻っている。見上げると、天井に張りついているのは小鳥の羽なんかではなく、肌色の耳なのだった。
耳。
どうして耳が。
それになんか、尖ってる。
「エルフの耳だ」
「え?」
「エルフの耳だよ、あれ」
いわれてみればそう見えなくもない。
だからって謎は何ひとつ解けていないのだけど、ともかくまたなんか光り出したら怖いのでノートを閉じて、私たちは協議を重ねる。
「どうしよっか」
「このままインテリアとして過ごしてもらうとか」
「あれ見ながら寝ろっつーの?」
「気になっちゃうよね」
気になるとかいうレベルじゃない。
とりあえず手にとってみようという勇気ある発言が飛び出したので、私はおじいちゃんがよく庭で使っている、高枝切りばさみの採収タイプを物置小屋から持ち出してくる。
椅子の上に乗れば手も届くけど、直接触るのはやっぱり怖い。
そうして掴んだエルフの耳は、間近で見てもやっぱりエルフの耳だった。
「本物かなこれ」
「なんで耳だけ」
「しかも片耳」
「使い道ないよね」
「両耳あってもないけど」
だんだん慣れてきたらしいマサコは、始めはボールペンで突いていたのが人差し指になり、最終的には両手で掴んでぐにぐにと触感を確かめるにまで至っていた。私はまだその境地に達していない。
エルフの耳はたぶん右耳で、サイズは人間のよりも少し大きく、耳輪の先がゆるやかなカーブを描いて尖っている。切り口らしきものは見当たらなかった。
「なんだか作り物みたい」
「作り物なんじゃない?」
「?」
「つまり、異世界におけるエルフコスプレ用の擬似イヤー」
「……それだったらもう、この現実世界のエルフコスプレ衣装って考えた方がしっくり来るけど」
「この世界のコスプレ衣装は宙に浮かないでしょ」
マサコがぱっと手を放すと、耳はびたーんと再び天井に張りついてしまう。
謎の力が働いているのは事実なようだった。
「これはやっぱさ、魔法陣で召喚したってことでいいんだよね」
「いいっていうか、まあ、そう考えるのが妥当かなあとは思うけど」
「じゃあつまりわたしってば、召喚術士?」
「そうなるかもね」
無邪気に喜んでいるマサコを見ていると、微妙にいらっとしてくるけれど我慢する。
事態は深刻なのか浅少なのか、私には判断がつかないし、だったら楽観的にしておくのが正しい対処のような気がしたからだ。
「コスプレ用だとしても、片耳だけじゃ意味ないよね」
「ためしにつけてみたら? くっついてエルフ耳になれるかも」
「耳、あるからなー私」
「ない人探そう」
「無茶言わんで」
「じゃあ切り落とそう」
「いやいや」
マサコの視線が、閉じたノートに括りつけられている。
私はなんとなく彼女が言いたいことを察していたけど、言い出すまで待っていた。
責任を負いたくなかったのだ。
「もう一個召喚できないかな」
「耳を?」
「耳以外でもいいけど」
召喚術士としての自覚が出てきてしまったマサコは、心なしかうきうきとしている。
これで目とか鼻とか内臓とか召喚しちゃったらどうするんだろう、と私は想像して、でもまあいいか捨てれば、と楽観を装備する。
エルフ耳を召喚した魔法陣を真似して、同じように描いてみるけれど、何も起きない。私の画力では模倣するにも限界がある。
同じように自分の描いたものを再現していたマサコは、ふと気づいたように言った。
「これ、スキャンしてコピーしたらいいんじゃないの?」
「してこよっか」
ともかく楽なほうへ向かうのが好きなので、私たちはノートを持って最寄のコンビニへ行き、コピー機を使って魔法陣の描いてあるページをコピーしてみた。
魔法陣をスキャンした瞬間、コピー機は異音を発して止まり、店員さんが首をかしげながら電源を入れなおしたりしても直る気配がなく、まあそういうこともあるよねと私たちは別のコンビニへ行く。
それを三回ほど繰り返したあたりで私たちは現実を認めることにして、自宅に戻る。
「コピーすんなってことかな」
「わかんないけど、なんか怒られてる感じするね」
仕方なく、私たちは模写に没頭する。
途中で飽きた私は、お茶を入れたり漫画を読んだり、YouTubeで子犬の動画を見たりしていたけど、マサコはいつまでも集中して魔法陣を模写していた。
結局その日は時間も遅くなったのでお開きになり、エルフ耳は召喚者であるマサコ(召喚した人が持っていたほうがいろいろ都合よさそうというゲーム的理論で納得してくれた)が持ち帰っていった。
翌朝。
遅めの朝ご飯を食べながら「ときはなたれる」って言葉はかっこいいけど「ときどきはながたれる」の略だよって言われたら急激にかっこよさが失われるなー、とか考えていると、マサコから電話がかかってきて、召喚に成功したという。
「まじで?」
「まじで」
「耳?」
「うん耳」
律儀にマサコは実物を持ってきてくれる。日曜日の予定がないことは完全に見透かされていた。
そして直面した事実。
「これ、右耳だよね」
「うん」
「で、こっちも右耳」
「まあ、同じやりかたで召喚したらそうなるよね」
「ますます使い道ないなー」
両耳そろえば使い道があったのかというと、難しいところではある。
連続で耳召喚に成功したマサコの表情は、どことなく誇らしげだ。耳召喚術士としてのスキルが着々とあがっている。
「でもさー、同じもの召喚できたってことは、ますます作り物説は高まったよね」
「大量生産品の可能性はあるね。それか双子」
「双子?」
「双子のエルフの右耳が立て続けに、召喚によって失われたのです」
なかなかグロ怖いことを言い出すマサコ。
だけど現実感のなさから、あんまり具体的なイメージができずに私はのほほんとしている。
「かわいそうなことしちゃったなあ」
「復讐されるかもね」
「えー」
「倍返しだ! って感じで、わたしたちの両耳が知らないうちにあっちの世界に召喚されるかも」
「うわーやだなーそれ。授業中に両耳弾け飛んだら怖いよ」
「いやいつ弾け飛んでも怖いと思うけど」
痛みや命の危険をスルーして、真っ先に他人の印象のことを考えてしまうあたり、実感のなさが表れている。
マサコがあまりにも平然としているから、私もつられてゆるくなってしまうけど、それがいいのか悪いのかちょっとわからない。
しばらくエルフ耳をいじっていたマサコは、ぽつりとつぶやいた。
「これさー、返せないかな」
「返す?」
「元のとこに」
「あー」
「返品ってことで。まだクーリングオフ期間内だと思うし」
そんな概念があるかはしらないけど、なにか支払った感じもしないし、返してしまったほうがよさげな雰囲気はある。
問題は、
「やりかたがわかんないってことだね。模写じゃまた耳増えるだけだし」
耳召喚術士として生きていくつもりはないらしく、マサコの目は真剣だった。
それから二人で手当たりしだいに魔法陣を描いてみたものの、ページが埋まるばかりでノートは何の光も発しない。エルフ耳の返品は、成功せずに終わる。
新しく何かを召喚できることも、二度となかった。
五年後。
あのマサコが結婚したのにも驚いたし、すでに妊娠しているというのも衝撃だった。
なんだなんだ相手は誰だと思ったら、高校のときの部活の先輩だとかいうし、おまえらいつ付き合ってたんだよと思う。あの天然素材で作られたオーガニック100%のフェアトレード商品みたいだったマサコが、いつの間に。
そして検査の結果、マサコの子供は双子で、右耳がふたりとも先天的に失われていることがわかった。
「っていうオチはどうかな」
「まず私をさしおいてマサコが幸せ掴んでるのが気に食わないし、そのオチはオチてるようでオチてないよね」
「え、そう?」
「だってエルフ関係ないし」
「あ、じゃあ先輩がエルフってことで、エルフ族からの復讐を背負ってこの世界にきたんだけど、わたしと恋に落ちちゃったから復讐は断念して、でもエルフ族からの呪い的なやつでわたしの子供に因果がまわってきたっていうのはどう?」
「すこし冷静になろうね」
エルフ耳の謎はいつまで経っても解けず、どうして宙に浮かぶのかという点については「両耳につけたら空飛べる説」「異世界の方向へ飛んでいこうとしている説(自動クーリングオフ機能?)」「実は耳そのものが生きているし異世界では耳じゃなくて元々こういう生き物説」など、いろいろと想像だけはできたものの回答はどこにもなく、この件については思い悩むのをやめた。
マサコは諦めずに魔法陣を描き続けていて、理由を聞くと「異世界からエルフのイケメンを召還する」とのことだったのだけど、どこまで本気かはわからない。
わからないけど熱意だけは本物のようで、卒業までずっと魔法陣を描き続けているうちに、なんかそういうアートとして教師の目に止まり、ネットにアップロードしたところ海外の好事家に目をつけられ、個展を開くことになってしまう。
エルフの本場であるところの北欧へ旅立っていったマサコを空港で見送った私は、ふたりの永遠の友情を祝してという名目で押しつけられたエルフの片耳を、空に放ってしまおうかどうしようか、と思い悩みながら、ポケットの中でもてあましている。
この耳の存在はふたりだけの秘密で、だからこそ、めんどくさいなーと思ったりもするのだった。
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