雪を踏む(短編小説/1015字)
扉の向こうは雪景色だった。
凍える深夜の末端を、照明が青白く染めている。街の音がその色に閉じ込められてしまったみたいに、静か。
靴はただのスニーカーだったけれど、気にせず一歩、白へ踏み入れる。
想像の外から音に触られて、肌がざわついた。
思わず足元を確かめて、何食わぬ顔の静寂を見つめてしまう。
とても奇妙な音だった。
箱の中をもう一度覗くように、おそるおそる、ゆっくりと、歩いてみる。
ぺけ、こぶる。
片足を振り上げ、かかとからつま先へと、しっかり体重を乗せる形で下ろしていくと、そう聞こえるようだった。
ぺけ、で、かかとが雪に沈み、こぶる、で、一気に足全体が接地するような按配だ。
耳あてを外して、ポケットに入れた。余韻にリズムをつけて歩いてゆく。
ぺけこぶる、ぺけこぶる。
なんだか少し楽しい。
用事はただ坂道を下ったところにあるポストへ、封筒を入れるだけなのだけれど。
雪はまだ降り始めて間もなく、けれど大量に降っていたので、積雪は多かった。
まだ誰も踏んでいないことがわかる、まっさらな状態の雪道を、転ばないようにじっくりと、音を鳴らして歩いた。
ぺけこぶる、ぺけこぶる。
褐色のマンホールや、街灯の光が当たっている周辺は、雪が溶けて露出していた。てらてらと光沢を見せるその湿り気を横目に、ビニール傘をくるくると回して進む。
ぺけこぶる、ぺけこぶる。
この音の発見は、誰かに伝えなければいけない気がした。
けれども伝えたところで、ふうん、それで? と言われそうな気もするし、そもそも「ぺけこぶるってなに?」と疑問に思われそうだった。
しかし自分の耳はもう、この足音をぺけこぶるとしか捉えられなくなりつつあるし、語感を気に入ってしまっている。今さらぺけこぶる以外の音を受け入れることはできそうになかった。
だったらぺけこぶるは、自分の中にだけしまっておこう。
自分だけが知っている雪の音を、自分だけが歩いている坂道で聞きながら、自分だけの足跡を残してポストへ行き、投函して、引き返す。自分だけの足跡を振り返りながら。
なんだか不思議な感覚だな、と思っていると、その自分の足跡を辿るようにして靴跡を合わせ、歩いてくる人がいた。
その人はふっとこちらを見て、なんでもないような顔で足跡を外れて、歩き出した。
ごまかしたつもりらしいので、ごまかされたつもりでその人とすれ違う。
ちゃんと雪を踏まないと、この音は鳴らないのに。
ぺけこぶる、ぺけこぶる。
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