天使ちゃん
彼女が何故みんなから天使ちゃんと呼ばれているのかというと、天使の羽が生えているからに他ならない。
天使。
ただの羽だったら、天使の羽とはだれも思わない。
ただ、だれの目からみてもそれが天使の羽としか思えない色、形、生え方、そして輝きを放っていたから、これはもう天使ちゃんと呼ぶしかなくなった。
羽が黒かったら悪魔ちゃんだったのかもしれないけど、堕天使というのも捨てがたいよね、と、地上で生まれた天使ちゃんは言う。
私は天使ちゃんと出会うはるか昔から本物の悪魔と戦っていたので、彼女が天使でも悪魔でもないことは出会った瞬間にわかっていた。
悪魔退治は簡単だ。天使の血を込めた銃弾で、眉間に一発撃ち込むだけでいい。
べつに眉間じゃなくても肩でも背中でもおしりでもいいんだけど、ご先祖様が見栄えというものを考えた結果、必ず眉間に撃ち込むようにという戒律が作られた。でもその傷跡を見るのは自分だけだから、ほとんど意味ないんだけど。
天使の血には、悪魔を殺す力とかそういうのは特になくて、殺しているのは単純に銃弾の殺傷性能にすぎない。
じゃあなにがあるのかといえば記憶の改ざん能力で、それでもって私は殺した悪魔を見た人々の記憶に干渉する。そうすると都合よく自殺扱いになってくれる。この国の年間自殺者数を、私は増やし続けている。
天使ちゃんは普段、コスプレイヤーとして活動していた。
ものすごくよくできた天使の羽をこれみよがしに羽ばたかせて、街中を練り歩いて写真に撮られたりネットにアップロードされたりストーカーされたりしている。
私は天使ちゃんをおとりに使って悪魔を探し、撃ち殺すという効率性の高い手法を確立してからというもの、すっかり仕事への情熱が薄れてしまった。
もはやただの作業。
簡単すぎてつまらない、テトリスで正方形のブロックしか落ちてこないような、ルーティンワーク。
だけど得点はたまっていくし、ゲームオーバーにならない内は続けてる。
「わたし、7歳以前の記憶がないの」
紙袋の中に忍ばせた拳銃に手を伸ばしているところを、急に声をかけられて私は振り向く。
つるりとした能面のような表情で、天使ちゃんは真っ白なホイップクリームの乗ったフラペチーノをストローで口にしていた。
ずずず、と、わざとらしく大きな音で吸い上げる。顔が近い。
「あの、なにか」
「悪魔探してる人でしょ? 悪魔ハンターの人」天使ちゃんの目は私の肩あたりを見つめている。
思わず周囲を見渡すけれど、意外と注目を集めてはいないようだった。天使ちゃんの行動範囲に住む人々は、もう彼女の存在に慣れきっているのか。
「話をするなら、できればもっと他のところで」
「じゃあわたしの家ねっ」即決して、天使ちゃんはきびすを返す。
そのまま無視して帰るという手もあった。
だけど天使ちゃんの羽がぱたぱたと誘うように揺れていて、私は光に導かれる夜行性の虫のように、ふらふらとあとを追う。
家と言っていたのに天使ちゃんが入っていったのは繁華街のゲームセンターで、気後れした私が入り口付近で様子を見ていると、彼女は迷いなくプリントシール機へ向かって歩いてゆき「わたしがおとりになる!」と叫んでカーテンをくぐっていった。
そのまましばらく待つと、「なんで来ないの」と若干不機嫌そうな天使ちゃんが顔を出してくる。「ひとりで撮りたいのかなって」「そんなわけないでしょ」手をとられ、私たちはシールに現像される。
しっかり代金は折半され、渡されたシールを私は今世紀最大の困り顔で眺める。天使ちゃんは満足げにスケジュール帳と財布と携帯にぺたぺたとシールを貼りつけていた。
ウィンドウショッピングに1時間ほど費やしたあげく、ようやく彼女は駅へ歩き出す。
天使ちゃんの家の表札には当然だけど天使ちゃんとは書かれておらず、ごく普通のキラキラもしていない苗字が記されている。私は本名を知っているので、特に何も思わない。
ラベンダーピンクで塗装された室内。もこもこしたウサギを模したルームシューズを履かされて、微妙に歩きにくかった。
「家にはね、だれもいないよ。去年死んだ猫の亡霊はいるかもだけど」謎の言葉を発して、天使ちゃんは小皿にキャットフードをちりばめてテーブルに置く。私には温められた真っ白い甘酒が出される。どろどろしていて、びっくりするぐらい甘い。
「その猫はテーブルで食事してたの」
「もちろん」
「礼儀正しいね」
「本題に入りましょう」言葉遣いを変えて、天使ちゃんは私の目をじっと見た。「悪魔狩りについてのお話です」「なんのことだか」「しらばっくれない」「天使ちゃんですよね?」唐突に私は確認する。
「そうですけど?」
「私、ファンなんです。だからなんていうか、気になって後をつけてしまっただけで」
「ちがうちがう。今さらそういうの、よくないと思います」強引に押し切ろうとする私をさえぎるように手を振って、天使ちゃんはぴっと私の肩を指さした。
「よくない霊がついていますよ」
「え?」
「この姿で言うと、ぜんぶ冗談に聞こえるでしょう? わたしの人生はずっと冗談みたいなんです」
「つまり本気?」
「いいえ」答えながら席を立ち、天使ちゃんは近づいてくる。私も立ち上がり、テーブルにおいた紙袋を見つめる。使う気は、ない。
「わたしの人生は7歳から始まっていて、それ以前はないんです。正確には、周りの人は覚えているけど、わたしにはない。どうしてなのかはわかりません、でもひとつ言えることは」
7歳になるまえは、こんな羽は生えていなかった。
天使ちゃんの表情は変わらないのに、泣いているようにも見えて、私は言葉に詰まる。
その瞳が、責任の追及のように感じられたからだ。
心当たりがないわけじゃない。
「まあ、それはともかくとしてねっ」
天使ちゃんはまた口調を戻した。
「ちょっと脱いでもらっていい?」血液の流れを感じさせない白く細い指先が、私の肩に触れようとする。
「ちょっとっていうのは、二秒くらいでも?」私はすこし身を引く。
「二秒で着なおせるんだ」へえ、と感心した顔をされるので私はさらに引く。壁にあたった。
ここぞとばかりに天使ちゃんは左手を壁について、いわゆる壁ドンの姿勢を取った。天使の威圧。
「女同士だと気軽にできるよね」「気安くしていいことじゃないけどね」「さー脱いで」「待って待って」待ってくれない。シーンはカット。ノーカット版はBD発売をお待ちください。
いのられるくらいなら かなえるよ
ねがいなんて みえなくしてあげる
iPhoneから音楽が流れ出ていて、生ぬるいアールグレイみたいな声が、明るくさわやかに陰気な曲を泳いでいた。
日向ユラギの歌だ。歌詞のセンスが独特で、曲に少しもあってないところが抜群にいい。
勝手に人のスマホをいじったあげくにスピーカーにつないでリスニングを始めた天使ちゃんを横目に、わたしはほどよく冷めた甘酒を飲む。へそで沸かしたお茶よりはおいしい。
脱がされたのは上半身だけで、二秒とはいかないまでも二分もかからず私は着なおした。
「この曲聴いてると、空に墜落したくなる」「詩的だね」「空のほうが落ちてきてくれたら楽なんだけど」
素直に、空を飛びたいって言えばいいのに。
でもその羽で飛べないことは、私自身が一番よく知っている。
私の肩甲骨付近には羽のもがれた痕があり、天使ちゃんはそれを確認して確信した。
自分に羽を与えた天使が、私であることを。
「恨んでないの?」
「天使ちゃんは人を恨みません」両手の指を結んで、祈りのポーズを取る天使ちゃん。
「ちなみにこれは寝癖がつきやすくなるおまじないのポーズです」
「今すぐやめてもらっていい?」
「今日は絶対に寝癖をつけなきゃいけないという日が、だれにでも一生に一度は訪れるものですよ」
あくまでも天使を続ける、天使ちゃん。
明日がその日じゃなければいいな、と私は思う。
#小説 #灰谷魚トリビュート
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