サボテンの日(短編小説/1141字)

 目覚めると隣のベッドはもぬけの殻で、出窓に佇むサボテンが静かに私を見つめていた。

 ああそうか、今日はサボテンか、と私は思い出す。

 数ヶ月に一度、季節的には春、夏、秋の三回、私の妻はサボテンになって一日を過ごす。

 結婚前からこの生活は変わらない。はじめは驚いたものだが、今ではもうサボテンとしての妻の接し方にも慣れたものだ。

 妻の種類は日本でもメジャーなキンシャチと呼ばれるもので、丸いフォルムに金色のトゲが無数に伸びた美しい輪郭をしている。

 鉢を一日に何度も回して日光の当たる部位を調節してやらないと、きれいな体型を維持できなくなるので彼女は怒る。具体的にはトゲを飛ばしてくる。肌に刺さると尋常じゃなく、痛い。

 水は人間のときに摂るので必要ない。サボテンのままいるのは一日だけで、キンシャチが水を必要とするのは10日に一度くらいだからだ。

 換気にも気を使う。人間のときは気にしないエアコンの送風も、サボテンのときは気になるらしく、リモコンごと隠されてしまう。夏場は少々辛い。

 普段アンビエントミュージックが好きな妻は、サボテンになるとなぜかハードロックを聴きたがる。

 ご近所の迷惑になるので音量を控えめに流すのだが、後からねちねちと不満を告げられてうんざりしたので、ヘッドホンを提案したこともあるのだが却下された。耳がどこにあるのか、自分でもわからないらしい。

 あなたもサボテンだったらよかったのに、と言われたことがある。

 そうしたら、誰が君を世話してあげるんだと私は笑う。

 キンシャチは三十年、長いものでは五十年に一度という長いスパンで花を咲かせる。妻はまだ花を咲かせたことがない。したがって、子供もいない。

 たとえばこのサボテンの内部は空洞で、中には盗聴器が仕掛けられていて、本物の妻はどこか遠くへ、オアシスにでも行って涼んでいる。

 そういう想像も、たまにする。

 サボテンの妻は物静かで大人しく、普段の妻の様子を知っている私がみると、まるで何かを充電し続けているかのようだ。

 キンシャチが開花するのはたったの一日で、私はそれを見逃したくない。

 できれば妻がサボテンでいるときに、その姿を見たかった。

 アメリカの植物学者、ルーサー・バーバンクは「ここに外敵はいない、安全だよ」とサボテンに話し続けることで、トゲなしのサボテンを作ることに成功したという。

 妻は現状に安心しきっていないのかもしれないが、トゲのない妻が魅力的かというと難しいところだし、バーバンクがその後トゲなしサボテンを食用ステーキにしていたことを考えると、騙まし討ちのようで実行する気にはならない。

 同じ下心なら、花を咲かせてみたいものだ。

 妻の花を咲かせるためにはどんな言葉が有効なのか、私は考えあぐねている。

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