孤独のエッセンス(短編小説/1545字)

「脳と目の話、していい?」
「どうぞ」
「人間の脳はね、色、形、動きの順番で視野の情報を処理してるんだ。それぞれの情報を処理するのに時差があるけど、それをひとまとめにして『現実』を作ってるわけ」
「ほー」
「文字や言葉なんかは、処理に0.5秒くらいかかるんだって。すごいよね、ぜんぶバラバラに投げられたボールを、もらさず受け取ってるんだよ脳って」
「すごいねえ」
「でもそれを考えるとさ、そういう情報の処理が少しでも違ってたら、『現実』はぜんぶ変わるってことになるよね」
「まあ、なるね」
「たとえば『目』っていう入り口が変わるだけでも、世界は変わっちゃう。虫は複眼だし、魚は魚眼でしょ。構造が違う生き物の目から見たら、世界を形作る情報の処理も変わってくるから、人間が見ている世界とは別物になるよね」
「世界の解釈は目で変わる、か」
「それって世界が変わるんじゃなくて、目が世界を作り変えているってことだよ。視界には限られた要素しか映っていなくて、それを処理する器官も万能じゃなくて、限られてる。ありのままの姿を見せても、ありのままを見れるように人はできていない」
「Let It Go?」
「ありのままを見てるんじゃなくて、削ってるってこと。視界は要素を削られてできてる。それと、元々はないもので補ってできてる。その補正された視界が人の標準だから、その中からしか世界を捉えられないし、考えられない。だから、そんな限られたあなたをそんなに悔やまずに人に見せてしまいましょう、っていう歌なんだよそれ」
「マジで?」
「いやただの思いつきだけど。映画観てないし」
「せめて観てから言ってよ。でもまぁ、わかるなそれ。あのね、寂しさってあるでしょ」
「寂しさ?」
「寂しさ。今までずっと『普遍的な寂しさなんかに興味はない。私の寂しさは私だけのもので、伝わらないから寂しさなんだ』――みたいなこと思って生きてきたんだけど」
「うん」
「最近は違ってて、伝えられる寂しさに浸って生きることにしたの」
「どうして?」
「みんな、寂しさに飢えてるから、伝わる寂しさを持ってると、優しくしてくれるんだよね。だから私の寂しさも、普遍的になるところまで汚しておいて、見せるとみんな喜んでくれるわけ。仲間を見つけたって。そうしてると、やっぱり楽なんだよね。生きるのが」
「ふうん。なんかそういうのって、嫌われない? よそおってるって知られたときに」
「よそおってるんじゃないよ。さっきの話にたとえると、むしろ削ってるだけ。ぜんぜん違う形してたのを、他人が見てもわかるものっていうか、ああそれなら知ってる、って思われるようなものに、削って整えておくわけ。誰にでも処理してもらえるものにしてから、差し出すの」
「なるほどね。でもそういう作業って、誰でもやってることなんじゃないの?」
「かもしれないけど。自分でそれをしたってことを、自覚しないでいる人は多いと思う。……ほんとは、伝わらない寂しさも大事なんだ。たぶんそれは、誰かに見せたりしないで、別に見せてもいいけど、共有できないからって悲しまなくていいの。っていうか、悲しむべきなの。それが寂しさの本質なんだから」
「でかいこと言ったね!」
「でかかった?」
「一人で抱え込まないで相談して、とかよくある常套句だけどさ、抱え込むほうがいいこともある、ってことでしょ」
「まあ、そんな感じ。私みたいに、受け取りやすく体裁をととのえて他人に振る舞ってると、あとになって、自分が見せてたものが信じられなくなって、つらくなるから」
「『私の寂しさが逃げていく寂しさ』、っていう永久機関ができるね!」
「やな永久機関だなー」

 猫のような私たちは、視線を合わせずに会話をする。
 ひとつはふたつを決して超えない。
 そのさみしさで、生きてゆく。

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