ミミクリ コロネット(短編小説/5272字)

 王冠を手に入れた。

 王様がつけているような大きいコロナじゃなく、お姫様がつけているような小さい金色のコロネットだ。演劇の小道具か何かだろうかと思って眺めているけど、どうもそれにしては作りが精細で、はめ込まれた宝石もフェイクには見えない。

 でもだからといってわたしは王様ではないので、これをかぶって椅子にふんぞり返ったりはしない。家臣もいないし。

 王冠は教室のロッカーの上に置かれていた。誰に聞いても知らないと言うし、はじめはみんな不思議がっていたけれど、落し物入れに放置されてから何日もすると、誰の話題にもあがらなくなった。

 そうしてわたし自身も忘れた頃に、なぜか自室の机の上に王冠が鎮座していた。

 手に持つと、不思議なことに重さが全くない。こんなに軽かったっけ、というレベルじゃなく、重さそのものを感じなかった。ますます怪しい。

 気味が悪いと思いつつも、こういうのはどこかに捨ててくると余計にひどくなるパターンだな、という偏った考えの元に、むしろこれを活用する方向にいくことにした。

 とりあえずは、かぶってみる。そして、やぶからぼうに鏡を見てみる。

 似合わない。

 日本人に王冠は、とにかく似合わない。

 そのうえ、外そうとしたら外れない。え、孫悟空の緊箍児(きんこじ)みたいなあれなの。

 やばいこれ学校いけないし外出れない。でも小さいから覆い隠せるような帽子かぶればギリOKかな。でも授業は受けらんないな。保健室登校になっちゃうな。保健室の先生やさしいからたぶん帽子とらなくても許してくれる。でもなんかそういう問題じゃないよねこれ。

 王冠を外すのに悪戦苦闘して、最終的には髪の毛ごと切っちゃおうかと考え始めたとき、背後から声がした。

「失礼ながら王様」

 ホラー映画みたいなひきつった悲鳴をあげて、わたしは飛び退いた。部屋中を人生最速で見回して窓の外をみてドアの外をみてドアを閉めてもっかい部屋中を見回して、座り込むというかへたり込む。

 幻聴が聞こえるような精神状態になっちゃったかー、と心のどこかで冷静な自分がつぶやいて、感慨深げにしている。

「王様、こちらです王様」
「どぅっ!」

 なにが「どぅっ!」なのかは誰にもわからないけれど、とっさにあげてしまう声に意味なんてなく、わたしは首と腕と腰をぐるんぐるん稼動させて音の発生源を探る。

「落ち着いて下さい。こちらです。影です」

 はっきりした情報を告げられて、ようやくわたしは声の主を見ることができた。

 声の発生源は、わたしの影だった。

 普段見慣れた姿じゃなく、影の中心部分が黄色い円形になっていて、白身だけを計画的に焦がした目玉焼きみたいな感じになっている。

「え、なになになにどういうこと」
「影です」
「影だけど」
「そしてあなた様が、王様です」
「いや王様じゃないけど女だし」
「では女王様」
「そういうことでもなくて」

 動転した心が落ち着くまでに、指さし確認と呼吸法確認と爪もみ療法とスマホで猫動画を眺めるなどの行動を要した。

 その間に目玉焼きはいろいろと説明をしてくれたけど、半分も耳に残ることはなかった。

 かろうじて聞き取れたことだけ、問い返してみる。

「つまり、なんなの。この王冠が、あんたらの王様の証?」
「はい。我々影の国の王位を継承したのが、あなた様ということになります」
「かぶっただけで?」
「適性がなければ、かぶっても何の効果もありません。こうして我々の声が聞こえ、対話ができるという点で、あなた様にはその資格があるということなのです」

 急にファンタジーの世界に放り込まれたようで、めまいがする。

 そっかー、キングス・クロス駅に行って9と3/4番線を探しに行かなきゃいけないかー、とか思っていると、目玉焼きはいちいち否定してくれる。

「あなた様は実体をお持ちですので、影の国に入ることはできないのです。そしてその必要も、ありません」
「なにしろっていうの」
「食べて下さい」
「食べ?」
「影を、食べて下さい」

 ほんとに目玉焼きだったんだ、と納得しかけたもののうなずけない。いくら目玉焼きっぽいからって食べられるわけない。私は醤油よりソース派だ。

「王に食べていただくことで、私ども影は百年、寿命が延びるのです」
「すごいけど意味わかんない」
「そもそも影とは、物体と光あって然るべきもの。物体なくして影はなく、光なくして影はなし。影の王とはつまり、影にとっての光の役割をしてもらうことなのです」
「いやでもそれで食べることにつながんないよね?」
「つながります。よろしいですか。影が影のままでいるには、光が光り続けるために必要なエネルギーがあるように、影のエネルギーが必要となるのです。そのエネルギーは、影の王にしか作り出せません。よって、我々影は王に食べていただくことによって、影エネルギーを体内から摂取し、生き長らえることが可能となるのです」

 目玉焼きは、つながってるようで全く何もつながっていないような気がする説明をしてくれた。なに影エネルギーって。学校で習ったことない資源なんだけど。あとこいつの声って発音がうまくなったボーカロイドみたいなんだけど。

「あのさ、いろいろ聞きたいけど、えっと、影ってみんな、そんななの?」
「そんなとは」
「喋ったり」
「元来影は喋れませんが、エネルギーが枯渇する時期に達すると、王との対話が可能になるのです」
「その黄色いのは何なの? 影なのに」
「影エネルギーが極端に減ってきますと、一部の影はこうして太陽模写を始めるのです。擬似的に光と影を表現することで、影エネルギーの消費を抑えようという試みですが、影会ではあまり認知された手法ではなく、エビデンスレベルもいまいちという声が多数派ではありますが、やはりどんな手法であれ可能性があるかぎり」
「あ、ごめんもういいや」

 よく見ればこいつ、蛍光灯でできる影なんて薄いはずなのに、妙にくっきりはっきりしている。死にかけてるどころか、いつも見ている影よりも元気そうだ。影に元気そうって。

 とにかく大事なことを聞こう。

「一番聞きたいのは、これ。この王冠、いつ取れるのってこと」
「お役目をまっとうして頂ければ、自然となくなります」
「お役目って、食べる」
「はい」
「影を」
「ええ」
「やだよ」
「つるっといけませんか」
「つるってしてるの」
「なにぶん経験がありませんので聞伝となりますが、卵のようにつるりとした食感だと聞き及んでおります」
「ああやっぱり目玉焼き」
「めだまやき?」
「食感がよくてもやなものはやだよ。わたしあれ、踊り食いとかだめなタイプだから」
「我々もダンスはだめなタイプです」
「あそう」

 だんだん会話に慣れてきたものの、意思疎通が芳しくない。こいつは本当に私の影なのか。長年付き従ってきたのなら、少しぐらい気持ちを汲み取ってくれてもいいのに。

「食べたあとどうするの。ずっとお腹にいるの」
「折を見て出てゆきます。影エネルギーのチャージには、四週間ほど見ていただければ間違いないかと」
「出て行くってさ……トイレで流されてく感じ?」
「排泄とは異なりますのでご安心を」

 まあ、そこだけは安心。

 詳しく聞いたところによると、大事なことが三つわかった。

 ひとつ。影を食べても身体に異常は起こらない。(ほんとかよ)

 ふたつ。影エネルギーは影同士で伝播するので、一影(?)食べれば十分。

 みっつ。いま喋ってる影の寿命はあと30分。

 30分て。

「なんでもっと早く言わないの」
「王がなかなか影帽子をつけて下さらないので、ぎりぎりになってしまいました」
「帽子って、これのこと?」
「それもまた、王冠模写をしている影ですので」
「どうりで軽いと思った……」

 影の模写能力についていろいろ聞いてみたくなってきたけど、残り時間を考えると決断しなくてはならなかった。

 影なんて死んでも別に構わない気がするけど、これで世界中の影が消えてしまったらちょっと後ろめたい。ちょっとというかだいぶ後ろめたい。でも偉業を成し遂げた感もある。成し遂げるのはどちらかというと食べるほうだけど、それで影が救われたって、世の中は私に対して何のリアクションもないのである。

 まあそれはいいけど。

「メリットがないよね」
「メリット」
「王様としてのメリット。王様気分ゼロだよ今んとこ」
「王様気分というのは、どうすれば得られるので?」
「えー、なんか、こう……命令したりとか」
「では何かご命令を」

 言われてみて考えるけど、特に命令したいことなんてない。

 だって寿命が残り30分切ってる影に何ができるというのだろう。いや、寿命がなかったとしても、何ができるというのだろう。

「何か特別なことできるの?」
「模写ぐらいですが」
「あぁ、それがあったね。じゃあ」

 どうしよう。

 好きな俳優にでも変身してもらおうか。してもらってどうするんだろう。記念撮影? 誰に見せるのそんなもの。サイン、は書けないだろうし。書けても偽物だし。

 難問に唸ること数分、賢いわたしは影の中に光明を見いだした。

 どうせ食べなきゃいけないんだし、こうしよう。

「一番おいしいと思うものに、なって」
「一番おいしいもの、ですか」
「そしたら食べてあげるから」

 と言ってみてから、影本来の味もちょっと気になるな、とか思う。

 だってこれを逃したら一生食べられない味だ。積極的に食べたくはないけど、期間限定という言葉に日本人は弱い。女子は特に弱い。

「あ、そっか。やっぱ今のなしで、元の影に戻っていいよ。食べるから」

 王冠のほうも影なんだから、そっちに変身してもらえばいいや。

 そうしよう。

 目玉焼きだった影は一瞬でただの影に戻り、するするとわたしのつま先に乗り移って、膝、腰、胸、首(もう見えない)と移動していく。

 一瞬で口の中に入ったのか、みゅるりとしたえもいわれぬ食感が舌先に広がっていった。

 舌触りは卵といえば卵だけど……味のほうはそうでもなかった。

 端的に、まずい。

 喫煙者の人には申し訳ないけれど、喫煙ブースから漏れ出してる空気みたいな味だ。未成年のわたしには副流煙の苦い記憶しかない。

 本当にこれ人体に影響ないの? ただちに影響はないとかじゃなく?

 吐き出すわけにもいかずに気合を入れて飲み下す。後味も悪い。

 口直ししたい。

 頭に乗っている王冠を取ろうとするけど、まだ外れない。意を決したわたしは、王冠に向かって喋る変な人になる。

「一番おいしいと思うものになってくれる?」
「できません」
「なんで」
「影帽子役の影は、最後まで王様の証でなければならないのです」
「もう役目終わったんだけど」
「四週間ほどお待ちください」
「あなたの寿命は?」
「あと二時間ほどです」
「だめじゃん!」

 最初から最後までデメリットしかない王様なんてひどすぎる。

 せめておいしい気分くらい味わわせてほしい。

「じゃあさ、その先っぽの宝石ついてるとこあるでしょ」
「はい」
「そこだけ食べさせてよ。あと我慢するから」
「ですが……」

 三分ほど問答を繰り返した末、王冠っぽさを損なわない範囲という条件で、食べさせてもらえることになった。

 寿命を迎えるのは勝手だけど、王様の証なんて王様にとってはどうでもいいのだ。

 影が思う一番おいしいものって何だろう。

 っていうか影って食事するんだろうか。

 根本的な不安を抱えつつ、わたしはディナーの準備をする。

 せっかくだから、王様らしい豪華なディナーがしたい。気分だけでも。

 ナイフとフォークに真っ白なお皿、食器棚の上段に飾られっぱなしのワイングラスと、玄関に飾ってある花瓶(中身のトルコ桔梗はちょっと枯れかけている)を失敬して、テーブルクロスの上に並べる。

 燭台とかよさげな絵画とかペルシャ絨毯とかも用意したかったけれど、きりがないので妥協。

 皿の上に置かれた王冠は、どう見ても食べ物には見えない。ナイフとフォークを手にとって、さあどうぞと声をかけても変化なし。

「まさか、見た目そのまま?」
「見た目を変えてしまいますと、役目も変わってしまうのです」

 中身は変わってもいいんだ。

 ていうか、影の中身って、なに? 中身だけ変えてて模写って言えるの? 食べられて平気なの? 痛覚ないの?

 いろいろ今さらな疑問を抱きつつ、王冠を切り分ける。なんの抵抗もなく、ただナイフを動かした感覚しかない。フォークで突き刺す。こきん、と皿にフォークがあたる音だけが響く。

 ふと窓の外をみると、とっくに日が暮れていて、今日は満月だった。いつもより少し大きく見える。

 黄色と金色って、やっぱり違うなあと思う。

 偽物の王冠をかぶったわたしは偽物の王様で、思い入れのない家臣のために影を食べる。

 わたし自身がもし影が模写した誰かだとしたら、共食いってことになるなあ、とか思わなくもない。……あれ、そういうことできないの? 影が王様になれる人を模写して、影を食べる。自給自足できそう。

 王冠は焦げたマーマレードパイのような味がして、なぜだか懐かしくなったわたしは、夜空を見上げていた。

ここから先は

371字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?