ハイファイ・ゴースト(1/2)

 世間はクリスマスムード一色、と見せかけて中はどろどろに混じった廃液みたいなものかもしれないが、少なくとも表面的には真っ白なので安全性は保たれている、ように思える。

 発覚していない不祥事のような、渾身の白さ。

 おれがそんなふうに俯瞰というか腐感(という言葉は多分ないが今作った)して物事を見るようになったのは、友人の長谷川カズカという女のせいである。

 こいつが見る世界を通しておれの世界は腐り果て、灰色に染まってしまった。

 中二病とかそんなものではなく、メンヘラではあるのかもしれないが、現実的にそうなるざるを得ない生活をしているせいでもあった。

 長谷川カズカの食生活は、非現実的である。

 ふつうの人間的な食事も、もちろんする。だが彼女にとってそっちはメインディッシュではないし、副食でもない。ただの習慣だ。

 おれは数日に一度、長谷川カズカの家に住居侵入を試みては家宅捜索し、目的の物を処理して帰っていく。そうしないとたまるばかりなのだ。汚物が。

 やっていることは家政婦に近い。というか家政婦なのかもしれない。賃金が発生してくれても罰はあたるまいと思う。

 伸び放題の髪もそろそろ切りにいけよ、と忠告してみたが、カズカはどうでもいいとばかりに首を振って、ソファの上でごろごろしている。

「ゴム」
「え?」
「浴室のゴムパッキン見た?」
「ああ」

 所々カビが生えていて、掃除するには骨が折れそうだった。おれがやってやる義理もないのだが、おれがやらなければ誰もやりそうにない。

 こいつの親類はもう誰もいないのだ。

「ああいう感じなんだよね」
「なにが」
「だから」

 言いかけて面倒くさくなったのか、うつ伏せに顔を沈み込ませ、呼吸を整えてから、カズカは一口に言い放った。

「ゴムに付いたカビみたいに腐食して一体化してカビがゴムでありゴムがカビでありみたいな状態になってるから、カビを除去したらゴムもなくなる。ゴムは私の身体」
「…………」
「そういうものでしょ鬱って」

 鬱の話だったらしい。

 そういうものだったとは初耳だが、浴室のあれはみた感じまだ間に合う。この女はどうか知らないが。

「つまり鬱が染みついてんだろ。そういう性格ってことなんじゃねえの」
「そういう性格、で片付けられるんならいいけど。みんなそれで納得してくれるんならいいけど、カテゴリーとして『鬱』ってものが出来上がってて、その中に私はあてはめられちゃうわけだから、そういう性格の一言ですませてくれない事態がたくさんあるんだよね。言葉として鬱って言わなくても、暗に鬱の意味を込めた感情でみんな私をみるわけでしょ」

 異臭を放つコーヒーメーカーの下からマグを回収し、流し台に置く。

 テーブルの上と、落ちているものはだいたい片付けた。まだ先は長いが、いったん休憩したい。

「単にめんどくさい人って思われるだけじゃないか」
「それは君がそう思ってるってだけじゃない。めんどくさい女だなーって思ってるんでしょ?」
「思ってるけど仕事だから別にいい。今日の分はやく探して来い」
「そんな気分じゃない」
「エルアール?」
「あー、やだなー。吸いたくないなー。煙草の方が数千倍マシだよ実際」

 駄々っ子のようにぱたぱたと足をばたつかせ、カズカはすがるようにおれを見る。

 捨て犬がここにいるよとでもいいたげな、不可解なまでに澄んだ瞳。

 何度おれがこれに騙されてやってきたか、知りもしない曲線。

「どうせおれは見えないんだから、一緒にいる意味ないだろ」
「私の体力つきたときに誰かいないと、のたれ死ぬ」
「街歩くだけでのたれ死ぬなよ……」

 とはいえ、確実に一定時間以内に見つかると決まっているわけでもない。

 カズカの体力のなさは折り紙つきだ。いやむしろ折り紙だ。

 ふわりと風に吹かれて倒れ込み、タクシー代など支払うはめになっては元も子もない。

「わかったよ。ちょうど洗剤がなくなりかけてたからついでにな」

 そうしておれは、長谷川カズカの主食である幽霊を探しに、街へ出かける。



 幸い今日は雪も降らず、気温もそこまで低くはなかった。

 コートにマフラーに手袋にマスクに耳あてと、完全防備な姿でカズカはよたよたとおれの後ろを付いてくる。

 長谷川家では代々、幽霊吸いという仕事が受け継がれていた。

 一日のノルマが三幽霊。

 カズカの師匠、故人である父親に定められたルールであり、ルールから外れた行動を取ると、罰則を科せられるらしい。

 非現実に非現実を重ねたような、そんな契約がカズカの家系ではされており、カズカはそのせいで一般的な仕事につけずにニートと化した。

 カズカ曰く、幽霊吸いは、人間の食事とおなじである。

 おいしい幽霊とまずい幽霊がいて、栄養価が高いのもいれば、低いのもいる。

 バランスも大事であり、主食である人間の幽霊ばかり吸っていると太るので、副食として小動物の幽霊や虫の幽霊も吸わなくてはならないが、すばしっこくてなかなか捕まらない。

 幽霊で太ったり痩せたりがありえるのか、おれにはわからない。

 わからないがカズカが幽霊を吸わないと、日々やつれていくのは事実だった。

 信じようと、信じまいと、覆せない現実があるのならそれに従うほかない。

 カズカとの付き合いで、そんなことをおれは学んだ。

「さむい」
「幽霊は?」
「いない」
「探せ」
「さがしてる」

 どちらかというとこいつの方が幽霊だ、と思うのも何度目か。

 幽霊の探し方について、おれがアドバイスできることはない。なにせ見えないのだから、こうして先に歩いていることさえ本当はおかしいのだ。

 だがカズカに自主性を期待するのは酷である。

 数年前はここまでひどくなかったし、ちゃんと自立的に動いていたし学校も行っていた。

 高校の部活動では幽霊を探すための偽装として、路上観察同好会なるものまで立ち上げ、会長にまで就任していたものだ。実態は自殺の名所巡りがメインだったのだが、真実を知るものは少ない。

 当時の親しい友人たちにも、幽霊吸いの仕事については秘密にしていたようだ。

 まあ話したところで、友情にひびが入る結果になりかねないわけだが。

 いくつかの事件を経て、カズカは立派なひきこもりの仲間入りを果たす。

 今やまともな交流を持つ友人がおれ以外にいるのか、聞いてみたことがないのでわからないが聞く気もない。

「末広」
「なんだよ」
「みつけた」

 カズカが指さす電柱の上を見上げるが、おれに発見できるわけもなく視線は戻される。

 幽霊を見ることそのものは、そこまで特殊な技能ではないようだが、おれには霊感がない。もしくは波長が合わない。

「幽霊って、いわゆる魂のことなんですか?」

 幽霊の本質についてそう訊ねたとき、カズカの父親はこんなふうに答えてくれた。

「魂が何なのかはわからないが、生き物の心や意識、そういうものの一部、という意味ならば、正しいよ。それを転写して複製されたもの、と考えても正しい」
「……えっと、つまり、どういう」
「あくまで一部なんだ。一部ってことは全部じゃなくて、そのものじゃないのはわかるよね。残留思念みたいなものをイメージしてくれれば、それでいい。それが死後に漂っていて、幽霊としての形を作る。でもそれは生前のその人の全てではないし、そのものでもない。でも、偽物ってわけでもない。全部から一部に切り離された時点で、複製品みたいなものなんだよ。つながっているうちはオリジナルだけど、切り離されたら、複製品」
「あー……プラナリアみたいな感じですかね」
「まあそんな感じだ。人の心は脳だけにあるわけじゃなくて、身体の全体に宿ってる。臓器移植された人に、臓器提供者の嗜好が移ってしまったって話があるように、身体には記憶があるしそこには心の一部がある。あくまで一部だから、それだけでその人そのものにはならない。その人そのものはやっぱり、生きている間だけにしか会えないんだ」

 そんな彼も死んでしまい、もう会うことはできない。幽霊にもならなかった。長谷川家の人間は、幽霊にならないのだろうか。

 誰もが抱く疑問のひとつ。

 幽霊がいるのだとしたら、世界は幽霊だらけになって埋め尽くされてしまうはずだ。

 そのアンサーとして長谷川家は存在する。

 というのは大げさだが、いちおうの答えは用意してくれている。

 もちろん、彼ら一族が毎日ぱくぱく幽霊を食べていたとして、いや実際には吸っているのだが、ともかくそうしたところで世界中の幽霊を吸い尽くすのは不可能だ。

 幽霊はそもそも突然変異であって、正常な死からのプロセスを経てはいない。

 じゃあ異常死すれば幽霊になりやすいのか、ということでもなく……病死でも老死でも自死でも事故死でも、なる時はなるしならない時はならない。

 発生する瞬間をとらえるのは非常に困難であり、いつの間にか現れているのが幽霊だ。

 ようするに、繁殖数は多くない。

 探せば見つからないほどではないが、夏場に鳴いているセミを実際に肉眼で探し当てるぐらいの労力は必要となる。

 そして今のように見つけても、位置的に届かない場所にいるときはどうするのか。

「おとして」
「どこだよ」
「あの電線が交差してるとこ」

 見えないものは見えないが、いわれた方角へ向け、おれは犬笛を取り出してネジを調整する。

「いくつだ」
「24000ぐらい」

 細かな数値が調整できるわけではない。経験だけを頼りになんとなくの感覚でネジを緩め、犬笛を吹いた。

 何の音もしない。

 のは嘘で、音はしているが、おれには聞き取れないだけだ。

 効果があったのかはカズカにしかわからないが、無言でマスクをはずしてストローを口にしているところを見ると、落ちたらしい。

 本来はストローなんかは必要なく、口だけで吸引できるそうなのだが、カズカは吸い込んでいるときの口の形を見られたくないという理由と、気分的な問題によってストローを愛用している。今日のストローは黄色だ。

 おれには何も見えない空間に向けて、ストローを突き出し、一心に吸い続けるその姿はなかなかの変人ぶりだが、見慣れてしまったもので、もはやなんとも思わない。

 犬笛がなぜ幽霊に効果的なのか。

 理由はまったくもって不明だが、系統別に周波数を合わせる事で、一時的に麻痺のような状態を引き起こせることだけはわかっている。

 ほとんど仮想ゲームをやっている気分で、おれはカズカの幽霊ハントに付き合う。

「うーん……あくどい味」
「カラスか?」
「スズメ」

 カズカの味の表現は奇々怪々であるが、幽霊の味を知ったところでおれには関係がない。

 生身の物質よりも幅広い味わいがあるのかもしれないが、羨ましさを感じたことはなかった。

 ただの精神疾患なのでは、と疑ったことも一度や二度ではない。

 事実、いろいろな意味で病的な気質を兼ね備えている家系ではある。

「次、もっと美味しいのさがそう」

 しかめ面のカズカは、それでも少しばかり顔色がよくなっているように見えた。

 信じようと信じまいと、彼女はこうして生きている。


後編につづく

#Xmas2014 #小説


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