ほとぼりさん(短編小説/1371字)

 私たちの町に、ほとぼりさんがやってきた。みんなが団扇や扇風機を持ってきて風を送るけれど、ほとぼりさんは冷めない。

 ほとぼりさんは冷まさないと大変なことになる。具体的にどうなるのか誰も知らないけれど、ほとぼりさんは常に冷まし続ける必要があると教えられていた。

 ほとぼりさんは熱い。熱いのに温かいものが好きだから、冷ますのに苦労する。

 屋根の上にのぼって日向ぼっこするほとぼりさんへ、冷却スプレーを浴びせ続けるけれど、ほとぼりさんは巧みに転がって回避する。転がったまま隣の家の屋根へ飛び移り、バーベキューを始めてしまう。ひとりでパーティなんて楽しくないでしょうと呼びかけても、満面の笑顔。熱気がむんむんとわきあがっている。みんな気が気じゃない。

 このままでは、冷めない。

 冷めてくれないと、夏が終わらないのだと、ひとりの老婆がつぶやいた。どよめく町の人々。それが本当なら大変なことだ。

 夏休み中の子供たちは歓喜しているけれど、夏休みなんてもともとない宿題ばかりの大人たちは現実と戦う。ほとぼり冷まし隊の結成だった。

 ほとぼり冷まし隊は必死に風鈴を鳴らしたり、冷やし中華を始めてみたり、冷凍食品を解凍してみたりするものの、あまり効果が見られない。

 冷まし隊の隣では、涼しげな水着姿の若者たちがスイカ割りとビーチバレー(砂浜はない)に興じているものの、むしろ白熱しすぎて逆効果だった。ただの冷やかしかもしれない。

 冷房病を自認するOL集団でも歯が立たず、ほとぼりさんは一向に冷めない。もはや手段は選んでいられなかった。

 冷血漢で知られる町長が、冷え性の身体をさすりながら冷蔵倉庫の鍵を開ける。

 真っ白な冷気がもれだす中、昨年葬式をあげたばかりの冷子さんが、寝起き直後のような顔で現れた。

 父親である町長に説明を受けた冷子さんは、面倒くさそうに髪をいじっている。まるで氷のように透き通った白い肌は、冷艶な美しさを保っていた。

「で、どうするの」
「おまえだけが頼りだ。なんとかほとぼりさんを冷ましてくれ」
「わたしもう死んでるんだけどな」

 死人なんかに何ができる、と冷淡なまなざしを向ける冷まし隊を気にすることもなく、冷子さんはほとぼりさんに近づいていく。

 ほとぼりさんはすっかりバカンス気分だった。いつの間にか子供たちに混じって虫捕りをしていたり、花火で遊んだりしている。

 油断しきっているほとぼりさんの肩をひたりと掴み、冷子さんは片手に持っていた魔法瓶の中身を、ばしゃりと浴びせかけた。

 もわもわと蒸気がたちのぼり、ほとぼりさんは縮こまる。

 冷めはじめた!

 一緒に遊んでいた子供たちから不満の声がたちのぼるが、冷子さんの冷徹な表情をみて全員が無言になる。

 いったい何をかけたんですかと聞いてみると、冷子さんは冷蔵倉庫に戻りながら冷ややかに答えた。

「ただのお冷」

 後にそれはお冷ではなく日本酒、つまり冷酒だったことが明らかになるが、享年十七歳だった冷子さんがなぜお酒を所有していたのか、そしてなぜ冷蔵倉庫に保存されているのかは、明らかになっていない。

 ほとぼりさんは順調に冷め、「また来年」と、口の動きだけで言い残して去っていった。

 おそらくは浴びせかけたお冷よりも、冷子さんの冷酷な瞳に冷やされたのだろうと、お役ご免となった冷まし隊の人々は語っている。

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