先生は帰れない(短編小説/3249字)

「では次の方どうぞ」
「こんにちは!」
「はいこんにちは」
「すみません、先生」
「何でしょう」
「保健室の先生にこんなことを相談するのはどうかと思うんですが」
「ではやめておきましょう」
「いえ他に話せる人もいないので話します」
「ではお話ください」
「わたし……二十年前のことが、どうしても思い出せないんです」
「時差ボケですね」
「時差ボケですか」
「時差ボケのお薬だしておきましょう」
「え、薬あるんですか。保健室なのに」
「学校の保健室をなめてはいけません。ここには生徒が罹り得る、ありとあらゆる病気に対応した薬が取りそろえてあったらいいなあと僕はいつも思うんですよ」
「わたしもそう思います」
「ではこちらが処方箋になります」
「なるんですね。今から」
「なりました。今。はいどうぞ。薬はええと、このコップを持って廊下に出て突き当たりを右に曲がってまっすぐ行ったところにある水飲み場から水をくんで頂ければそれで構いません」
「それって水じゃないんですか?」
「暖めればお湯になりますよ」
「冷やしたら水ですよね。というか元々水ですよね」
「まあともかく処方箋を読んでみてはどうでしょう」
「はあ。……なるほど、わたしって十四歳だから二十年前は生まれてなかったんですね」
「ええ、分かっていただけましたか」
「マイナス六歳分は前世だったわけですから、そのあたりを思い出せば時差ボケも解消できると、そう仰りたいんですね先生は」
「そう仰りたかったことにされるとは予想外でしたがまあそれもありでしょう」
「うーん、前世かあ……わたしなんとなく、前世は魔法瓶だったと思うんですよ」
「人じゃないんですねえ」
「魔法瓶ってなんか響きが好きなんです。あと触るとひんやりしてるとこも」
「好きだから前世がそれだったとは限らないんじゃないでしょうか」
「確かにそうかも。じゃあ台所の流し台かなあ」
「ステンレス製品がお好きなんですね」
「わたしって流されやすい性格だってよく言われるんです」
「受け流すのもお上手だと思いますよ」
「またまたそんな、誉めたってなにも出ないですよお」
「なにも出なくていいので、そろそろここから出ていって下さいませんかね」
「でもまだわたし、時差ボケが治ってません」
「しかし無機物の前世を思い出すというのは、なかなか至難の業ではないでしょうか」
「じゃあ生き物にします」
「変更可能なんですね。よかった」
「カブトムシがいいです。あのずんぐりむっくりなフォルムと、シックな光沢がなんともいえず可愛いのです」
「いまいち可愛さが伝わってきませんが、ひとつ問題がありますね」
「なんですか?」
「カブトムシって六年も生きないんじゃないでしょうか」
「それは盲点でした。六年以上生きる昆虫って、なにがいるかなあ」
「どうして昆虫に限定してるのか先生わかりかねますが、セミなんかどうですか」
「セミかぁ。土の中で六年ぐらいサナギになってるんですよね」
「まあ正確な年数は知りませんけど、種類によっては六年以上もいるんじゃないでしょうか」
「でも先生。セミが前世だとすると、記憶の大半が土の中ですよ? もう少し色気のある前世がいいです」
「土色はたっぷりありますけど、それじゃ不服ですか」
「不服です」
「じゃあ冬虫夏草とか」
「寄生の記憶しかないなんてそんな無職の引きこもりみたいな前世は嫌です」
「まいりましたねえ。あれも嫌、これも嫌、そんなことでは立派な昆虫になれませんよ」
「そもそも冬虫夏草は菌類ですよ。寄生されてる方が昆虫で」
「そうでしたっけ」
「そうです。ところで先生、ひとつお聞きしていいですか」
「はい?」
「先生は保健室の先生になる前は、何だったんですか?」
「学生でしたよ。あなたと同じように」
「その前は?」
「子供でしたよ」
「その前は?」
「赤子でしたよ」
「その前は?」
「記憶にないですね」
「前世の記憶、ないんですか?」
「ないですねえ。占いでは前世はラクダとか出ましたけど、特に思い入れも何もありませんしねえ、ラクダ」
「じゃあ先生も時差ボケなんですね」
「ええと、まあ、そうですね」
「一緒に治しましょう! わたし、いい方法を思い付いたんです」
「あまりいい予感がしませんが、どんな方法でしょうか」
「前世って現世から見ての前世じゃないですか?」
「ええ」
「なら、現世を今すぐ来世に持ち越せば、今が前世になって、時差ボケも解消されると思うんです!」
「アクロバットな解決法に先生、開いた口がふさがりません」
「というわけで縄と踏み台、用意してきますね」
「やめて下さい」
「え、さっきは出ていって下さいと仰っていたのに。そんなにわたしと離れたくないんですね、先生は」
「あらぬ誤解を招く言動は慎んでいただかないと困ります。もっと他の解決法を探りましょう」
「他の解決法といっても、思い出せないものは思い出せませんし」
「実は記憶にあるのに脳が素通りしてるだけ、ということも有り得ますよ」
「どういうことですか?」
「つまり、思い出したくないと脳が拒否しているわけです。ある種のトラウマといってもいいかもしれません」
「なるほど! ということはわたしには過去に思い出したくもないような陰惨なトラウマ時代があるかもしれなくて、それを思い出せば時差ボケが解消するというわけですね!」
「その通りです。その通りであることにしようと思います」
「でも思い出せないなあ。いたって平凡な記憶しか出てきませんよ」
「あるはずですよきっと。筆舌に尽くしがたい空前絶後でラグナロク的な記憶がきっと」
「うーん。あ、そうだ。わりとよくある話かもしれないんですけど」
「はい」
「金色のヒゲが生えてきたことがあるんです、わたし。そこまではまぁありがちなんですけど」
「ありがちの基準に大きな差があることを先生思い知りました」
「それでわたし、これはもう間違いなくあれだなと思ったんです」
「どれですかね」
「罰です」
「罰ですか」
「悪いことをしたわたしへの罰だったんですよ」
「不思議な刑罰もあるんですねえ。何をしたんですか?」
「当時の担任の先生が、図鑑で見たテナガザルにそっくりだったので」
「ははあ」
「それを正直に伝えたら、翌日からクラス全員に無視されるように」
「なんというか、どっちもどっちですねえ」
「悪いことしたなあと思うんですよ、今では」
「それで金色のヒゲはどうなったんですか?」
「そこはまあいいじゃないですか。今ないですし」
「かなり重要なところだと思うんですが」
「だってなんか、ちょっと王様扱いされてただけでおかしなこともなかったし」
「何ですか王様って」
「ヒゲが王様の証なんだって言い張る人がいて、その人と一緒に靴下の国に行ったんですけど」
「先生、話に付いていけないのに無理に付いていこうとするのはやめることにします」
「まあそういうありがちな思い出しかないんですよ」
「そうですか。先生ちょっと考え直したんですが、時差ボケは無理に治さなくても、自然と治ったりするんじゃないでしょうか」
「でもボケたままだと、いろいろ不都合が生じるじゃないですか? 介護医療の観点から見ても」
「そんな観点から見られてしまうとは思いませんでしたが、あなたはまだお若いので大丈夫だと思いますよ」
「先生は絶望的?」
「先生はもういろいろと諦めています。定時帰宅とか」
「あ、もうこんな時間だ。今日はもう帰りますね。先生、また明日~」
「明日が必要ですか」
「誰にでも平等に明日はやってくるんですよ、先生」
「まぁそうですね」
「過去に縛られていたら、未来を掴みとれません!」
「なんかその、いやまあいいです。気をつけて帰って下さいね」
「はーい」

「……はい、えー、じゃあ、次の方どうぞ」
「先生! 俺、人間って何分割までしたら人間じゃなくなるのか、気になって気になって夜も眠れないんです」
「そうですね、分割しても意識があるうちは人間で、なくなったら人外ということでいいんじゃないでしょうか」
「なんか投げやりっすね先生」
「はやく帰りたいんです」
「でも廊下にあと三人並んでますよ先生」
「…………」

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