雨を踏む

 雨が降っていたので、外に出ようと思った。

 新しい傘をずっと使っていなかったけれど、傘をさす機会を探していたわけじゃない。

 雨が降っているから出かけない、というブルーな気分の波を、無視してやろうと思ったのだ。

 私は時たまこうして私の気持ちに反乱を起こす。ぷちクーデターと呼んでいる。失敗しても成功しても、政権は変わらない。

 変わるのは街の匂いで、雨の日の匂いは独特だ。

 街の色彩も少々、グレイスケール風になる。

 草木や土の臭いが克明で、有機物が主張を強くしていく。

 雨で溶かされた乱雑な臭いが、街中を漂う。

 電線をみても鳥の姿はない。普段あんなに騒がしい鳥たちは、どこで雨宿りしているのだろう。

 ゆるい勾配でも、雨は薄い波になって流れている。

 点滅する影絵のような雨滴の跡を踏んでいく。

 ある意味では、この雨滴の影たちは空の一部だったものたちで、そうするとこの濡れたアスファルトの路面は、空を写し取っている形になる。

 落ちるまでは、空の一部。

 落ちてからは、土の一部。

 それか、

 もしくは、

 水の一部が、空と土。

 身体の多数決で、人も空になったり、土になったり、水になったりする。

 傘にあたる雨音も、どこを歩くかで微妙に音域が変わっていく。

 とととと、だったり、ぼぼぼぼ、だったり、ぱぱぱぱ、だったりする。

 傘が小さいのか、体格の問題か、歩き方のせいか、つま先が濡れてしまう。靴下までだんだんと湿っていく。レインシューズを履いてこなかった、私のせい。

 通りがかりの公園を歩いていると、水たまりを見つけた。

 避けて通るだけの、水たまり。

 水たまりが楽しかった時代は、どうしてあんなに一瞬ですぎてしまうんだろう。

 傘と長靴さえあれば、ずっと遊んでいられた。

 なにかとても浮かれた気持ちになれる、ひとつの純粋な遊具だった。

 今はただの、水たまり。

 心の関心は、水たまりよりも自販機の灯りに向かっていく。

 自販機で買った缶コーヒーのラベルには、コーヒー豆二倍と書いてあった。

 二倍にしたほうがおいしいことがわかっているのなら、今までのコーヒーは豆をケチっていましたという宣言になりはしないのだろうか。

 それとも、二倍にしたのでカフェインも二倍になるので元気になりますよ、とかいう感じなのか。

 カフェインを増やすことでおいしくなるのなら、カフェインだけ増やせばいいはずなので、たぶんそういうことでもないとは思う。

 ポリフェノールとかも健康に寄与するかもしれないけど、味には関係なさそうだ。

 どうでもいいことを考えながら歩く。

 帰り道で再会した水たまりは、何度みても、水たまりのままだった。

 水面に映る濁った空と、自分の身体。

 飛沫の音と、濡れた服の匂い。

 通りすぎた気持ちを、ぼんやり思い出す。

 少し下がって、助走して、私は水たまりを飛び越えようとする。


 最近ジャンプしたのはいつですか
 いいえ、階段の上り下りはジャンプではありません
 息を切らして走ることも、ジャンプではありません
 定期的にジャンプしておかないと、ジャンプできない身体になりますよ
 慢性的なジャンプ不足でジャンプできない身体になりますと、悲惨です
 喜びも直線になります
 たまにはジャンプして何かをつかもうとしてみてください


 そんなインタビューのようなポエムのようなよくわからない文面が脳裏に浮かんだけれど、私の跳躍は力不足で、傘の裏側を濡らすことしかできない。

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