枯れ葉ネコ

 物事が明るみに出て、表ざたになり、具体性を帯びて実害を生みだすのは、量の問題だ。

 あなたが毎日寝ている布団にも、実はこんなにダニや埃が! とか、何気なく使っている日用品のあれこれに、実はこんな汚れが! とかは、通販番組でよく目にする光景だけれど、ああいうのも、事実を知るまではそれまでの状態が通常で、量が減ったことを実感することがあったとしても、知らないままであれば、「あるなし」は問題にならなかったのだと思う。

 ちょっと違うかな。

 つまり、物事には何にでも閾値があって、そこを超えなければ、表面化しないし、実情化しない。実害化しないということ。

 にゃーと鳴く枯れ葉、が話題になったのは一昨年の秋で、はじめは怪奇現象、次は新種の生物発見、最終的には各分野の権威が調査に研究を重ね、余命を悟って人知れずいなくなるとされていたネコたちの一部が、枯れ葉となって生き延びていたという学説がセンセーショナルに報道され、世界で脚光を浴びた。

 学説が正しいかは別として、加熱した報道のおかげで私の住んでいる地域は、落ち葉狩りならぬ枯れ葉ネコ狩りの観光客や地元民でごった返すようになった。

 枯れ葉ネコは、なぜかこの街周辺の落ち葉にしか生息していない。見た目は枯れ葉そのままで、重さも枯れ葉そのままで、ほんとに生きてるの? って疑いたくなるけど生きものだ。鳴き声だけがネコそのもの。あとはぜんぶ枯れている。

 街中の木々は丸裸にされてしまい、塵の一つも残ってない。一連の流れに乗じて落ち目のアイドルがリリースした「彼はネコ」のダウンロード数がすごいことになってるらしいけど、私はどうでもいい。

 そんなことよりも私は、おばあちゃんが毎年秋になると作ってくれる落ち葉焚きによる焼きいもが大好きで、それが食べられなくなったのがとても悲しかった。一昨年も、去年も食べていない。

 落ち葉なんかで作らなくてもいいじゃないか、そもそも煙が迷惑だし、という声も囁かれた(主に友達から)けれど、そういうことを言う人はおばあちゃんの焼きいもを食べたことがないから言えるのであって、食べたことのある近所の人達はみんな、おばあちゃんの焼きいもが食べられなくなったことを嘆いている。

 特別なことをしているようには見えないのに、おばあちゃんが作るとなぜかおいしい。焼きいもの魔女、と、私は心の奥で命名している。もう少しかっこよくしてあげたい気もするけど。

 私のおばあちゃんは、本当のおばあちゃんじゃない。血の繋がりはない、義理のおばあちゃんだ。私は義理孫。

 たまたま隣同士に住んでいて、たまたま孫とおばあちゃんが互いに不足していて、たまたま利益の一致を確認できて、おばあちゃんと孫になった。毎日、杯のかわりに湯のみを交わしてる。

 今年こそはおばあちゃんの焼きいもを食べたいと、私は計画を打ちたてた。

 内容は単純だ。落ち葉を集める人たちは、枯れ葉ネコが目的なのだから、本物の落ち葉は必要ないはずで、私はそれを譲ってもらう。こんな普通すぎる解決に気付かないでいたなんて、ちょっと恥ずかしい。

 落ち葉で焚き火をするには、想像よりもたくさんの量が必要になる。軽く二、三時間は燃やし続けなければならないうえに、一度に焼けるおいもの数は限られている。

 おばあちゃん曰く、焼きいもを作るには適度な湿り気もあった方がよくて、小雨が降った直後ぐらいが一番いい状態だそうだ。

 種火の新聞紙と小枝に、おいもを取り出すときの火バサミや軍手。おいもを包むアルミホイルと、食べるときに使うタオル。そして消火用のバケツと、業務用の巨大ポリ袋いっぱいの落ち葉!

 わくわくしながら準備して、天気予報で小雨が降らないかな、まあ別に水かけてもいいんだけどできればベストの状態で、などと考えていると、落ち葉をため込んだポリ袋の中から、にゃーにゃーと鳴き声。

 ……あれ?

 無数の落ち葉から一枚の枯れ葉ネコを探し出す知識もスキルも根気もない私は、ネコの専門家であるところの友人、ミサキちゃんを召還した。自称しているだけなのがやや不安だけど、日々ネコ動画を見ながら登校し、ネコ動画を見ながら授業を受け、ネコ動画を見ながら下校しているネコまみれの彼女ならば、いい助言をくれると思いたかった。

「これが噂の枯れ葉ネコ!」

 はしゃいでスマホで撮影を始めようとするミサキちゃんの首根っこをつかみ「あげるからはやく見つけて持ってって」と、先日クレーンゲームで入手したネコストラップを握らせて、やる気を出させる。

 ミサキちゃんは本物のネコを飼っていない。

 なぜなら重度のネコアレルギーの持ち主であり、愛さえあればどうにでもなる! と息巻いて野良ネコに触れたとたん全身に発疹が発生するもののとてもいい笑顔、をたびたび繰り返しては親に叱られているという残念な子なので、枯れ葉ネコは彼女にとって希望の星になるかもしれないのだった。見た目ただの枯れ葉だけど。

 90Lの業務用ポリ袋に、これでもかというくらい詰め込まれた落ち葉たち。一枚一枚確認していたら日が暮れてしまうどころじゃない。私は一刻も早く落ち葉焚きを開始して、おばあちゃんに焼きいもを作ってもらわねばならないのだ。おばあちゃんの稼働時間は若者よりも短い。そこのところもご理解いただきたい。

 ミサキちゃんの取った作戦はシンプルだった。

 マタタビの粉末による、誘き出し作戦である。

 ネコならば反応してしかるべき、とのことで、無添加と書かれている(本来は何を添加するのか謎)スティック形状のパッケージを開けて、小皿に盛り付けた。

「ネコちゃんおいでおいでー、マタタビだよー、おいしいよー、無添加だよー」

 ミサキちゃんはべったりと床に頬を張りつけたまま、子供をあやすような甲高い声で枯れ葉ネコに呼びかける。

 ネコは女性の声を好むというけれど、ジェントルマンのダンディな低音を好むネコというのも中にはいるのではないだろうか。いや別にジェントルマンでなくても声は同じだけど。

 どちらにしても効果は見られずに、にゃーにゃーと鳴き声だけが縁側にこだましている。陽はまだ高いけど、お昼ご飯を食べたおばあちゃんは腹ごなしの散歩に出かけてしまった。戻ってくるまえに片をつけたい。

 ミサキちゃんはぴっと人差し指を額にあてて、つけてもいないメガネを押し上げる仕草をした。頭いい人のイメージ像が、とても貧困。

「可能性はいくつか考えられます」
「ほう」
「ネコといえども、すべてのネコがマタタビに惹かれるわけではないのです。好みというものがあります。そしてもうひとつ、考えられるのは」
「考えられるのは」
「枯れ葉ネコは、自力で動けないんじゃない?」

 うん。

 その考えはずっと念頭にあったものの、口にしないでいたものだった。

 だってそれを認めると、もう手作業しか残されていないような気がしたし。

「……でもそうだとすると、あまりにか弱い存在だよこの子は」
「まあ、枯れ葉だもんねえ」
「なんとかしてあげたいよ。遺伝子操作でこう、手足をつけてあげるとかして」
「遺伝子あるのかなぁ、この子」
「あるでしょ、生きてるんだから」

 とりあえず二人とも、枯れ葉ネコについての知識はほぼイーブンであることはわかった。

 研究が始まって何年も経つのに情報が入ってこないあたり、わかっていないことだらけなのかもしれないけど。

 あきらめ混じりに一枚ずつ、落ち葉を選り分け始める私たち。ヒヨコの雌雄鑑別する仕事ってこんな感じかなーとか考える。鑑別師という資格があるのにも驚いたし、受験資格が25歳以下というのにも驚いた記憶がある。視力1.0以上はまあ、わかるけど。

 枯れ葉ネコが世の中に普及していけば、これも仕事として成り立っちゃうかもしれない。

 そんな未来は特に希望しません。

 延々と続く作業に疲れて、ラジオでも聞こうかと古めかしいラジカセ(これでも最新型だとおばあちゃんは言い張っている)の電源を入れ、局を合わせると、AMから流れてきたのは「彼はネコ」だった。

 彼はネコ
 のど鳴らしの周波数
 わたしの細胞が再生する愛情のシグナル
 甘味を感じないってほんと? だからそんなに黒いのね

 曲調も歌詞も、いい悪いは別にして、すごく売れなさそうな感じだった。声は嫌いじゃないけど。

「この人だれだっけ」
「最後に名前言うんじゃない」

 間奏でネコの鳴き声がみゃーみゃー聞こえてきたとき、本物の枯れ葉ネコもにゃーにゃーと鳴き返し始めて、よくわからないハーモニーができあがった落ち葉まみれの縁側で、私たちは不意打ちでくすぐられたみたいに笑う。


#小説 #猫

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