昨日から考えていたことと、今日のMiki KashtanさんのクラスでMikiが言ったことが響いたので、忘備録的に書き留めておきます。
(トップの写真は寒い日にくっついて寝ることで暖をとるうちの猫🐈🐈)
そもそも、昨日から考えていたことは、この数年ずっと模索していることです(問い①)。それが、最近になって、どうしたらこの質感を自分の中に持ち続け、そして他の人にも味わってもらってそこへの憧れを(相手の中に少しでもあるのであれば)増幅できるだろうか?という問いも足されて、かなりの時間、考えるとも気づかずにつらつら探求・究していることでもあります。
それは、
ということ。
参加者さんが、「キャパがない、少ない、低い」こと(*)がある。それを「そんなはずはない、甘えだ」などと言われることが辛い。それを嘆いている。嘆くことは助けになっている」と言ったのに応えたのがこちら↓
そして、その後に、
「今はできないから、まだ力をつけているところ。でも、コミュニティとつながりたい、what mine to doを見つけたいけど、今はまだ誰ともつながっていないし、自分自身が何かできるところにいない、キャパシティがないの」と嘆く人(別の人)に応えて言ったのがこちら↓
これ、上の発言と並べると、相反するように見えるかも、と思うので書き添えると、
その上で、
と言っていると、私は捉えています。
私なりの比喩で言うとこんな感じです↓
森で、木がコミュニケーションを取り合って、栄養や水分を送り合っているように(*)、私たち人間も、キャパやリソースがない時には、ないことを共に嘆き、キャパやリソースがある人が差し出せる、そんなわかちあい、お互いさま、ができるといいなぁ、という憧れをbaby stepとして書いておきます。
問い②については、機会があったら書きます〜。